2022年11月8日、夕方の情報番組で、その日の晩に皆既月食と天王星食を同時に見られることを知りました。
皆既月食と、惑星食が同時に起きるのは442年ぶりとのことで、レアですね。
久しぶりに夜空をじっくりと眺めましたよ。
ちょうど子供をお風呂に入れたり、バタバタする時間帯だったので、一部始終を見ることはできなかったのですが、ひと段落して見上げた空に釘付けになりました。
ゆっくりと形を変える赤い月が、怪しくも神秘的でした。
皆既月食とは
太陽と地球と月が一直線に並び、地球の影で、月の形が少しずつ変わっていくように見えます。
どんどん月の形が変わっていき、太陽光の加減で月の色が赤く変化していく様子は、神秘的ですね。
皆既月食だけでしたら、次回日本全国で見られるのは、
2025年9月8日だそうです。
惑星食とは
惑星食とは、惑星が月の後ろに隠れていくのが見える現象だそうです。
今回は天王星が、月の後ろに隠れました。
天王星は遠すぎるので、地球から見ると小さすぎて、肉眼ではなかなか見られないようですね。
惑星食があると言われる時間帯に、月を眺めれば、はるか彼方に惑星を見ているということになりますね。
今回の皆既月食と、天王星食
Iphoneで写真を撮りました。
写真だとあまり赤さを感じませんが、赤かったのですよ~。
月が少し欠け始めたところ。
曇っていたのですが、一気に晴れてきました。
月がくっきりと見えました。
空を見上げながら、宇宙の惑星の動きについて考えるなんて、めったにありません。
普段は自分の身の回りのことで精いっぱいなので、宇宙を感じるなんて、このような時くらいかもしれません。
恐ろしく小さな自分と、小さなことであくせくしている自分。
宇宙から見たら、可愛らしく滑稽な姿だろうなと思いました。
真っ暗な空に切り抜いたように浮かぶ鮮やかな月を眺めながら、
フルーツポンチ村上さんの俳句を思い出していましたよ。
夜晴れにペリッと剝がせそうな月
天王星ってどのような惑星?
天王星は地球の約4倍の大きさ。
公転の周期は約84年。
天王星の1年は、84年の長さということですね。
たとえば、日本のように四季があるのだとしたら、ひとつの季節が21年続くということでしょうか。
長いな~。
完全に前の季節のことを忘れてしまいそうです。
日本のような四季はないのだろうけど。
1日は約17時間。
地球の約4倍の大きさだというのに、1日が17時間ということは、それだけ自転の速度が速いということでしょうか。
自転が速いのだとしたら地球より風が強かったりするのでしょうか。
重力は地球の0・89倍。
地球より大きくて質量が15倍もあるのに、重力は軽いのですね。
もしも天王星に降り立つことができたら、体重が少し軽くなった体を体感できますね。
気温は平均マイナス197度。
太陽から遠いから仕方ないか・・・。
平均ということは、天王星がもっとも太陽から離れる時は何度になるのでしょうね・・・。
寒すぎる。
ちなみに地球では、南極で、マイナス89.2度やらマイナス97.8度やら、記録されたことがあるそうです。
そんな寒いところで生きている生物って・・・どんなんでしょう。
ペンギンは平気なのかな?
天王星について調べながら、いろいろと想像をしてみました。
前回、皆既月食と惑星食を同時に見られたのはいつ?
前回、日本で皆既月食と惑星食が同時に見られたのは、442年前。
安土桃山時代、1580年(天正8年)だそうです。
織田信長が没したのが天正10年なので、織田信長も見たのでしょうか・・・。
この時代の方々は、皆既月食を見て、何を思ったのでしょうね。
月の色が変わるし、月の形がみるみる変わっていくし、ワクワクしたのでしょうか、怖かったのでしょうか。
人によりけりでしょうか。
今見ても、神秘的な皆既月食ですから・・・。
ちなみに442年前は土星食だったそうです。
昔は今よりも空気が綺麗だろうし、視力がいい人たちが多いでしょうから、
土星を肉眼で見た人は多いのかなあ。
次回、皆既月食と惑星食を同時に見られるのはいつ?
次回の日本から見える惑星食は、322年後だそうです。
2344年7月26日。
今度は土星食ですって。
土星は天王星よりも大きいし、天王星よりも地球に近いから、私でも目を凝らせば、肉眼で見ることができるのでしょうか。
土星、見てみたいなあ。
(*´ω`*)
生きていないけど。
宇宙から見たら、私の一生は、塵にも満たない大きさで、一瞬の中の一瞬なのでしょう。
さいごに
皆既月食と惑星食が気になったので、自分なりに色々調べてみましたよ。
次回、日本で皆既月食と惑星食が同時に見られるのは、322年後です。
322年後、日本はどうなっているのでしょうね。
世界はどうなっているのでしょうね。
自然がもっと生き生きと、美しくなっているといいな。
夜空の向こうの宇宙に想いを馳せて、気持ちが洗われました。