
最近、実家の父が旅立ったり、パソコンが故障して買い替えたり、長男が入学したり次男の新学期が始まったりでバタバタしておりました。
少し、父の思い出話にお付き合いいただけたらと思います。
私の実家の父は体調が悪くて入院をしていたのですが、最近息を引き取りました。
亡くなった時の顔は蝋人形のよう。
ふっくらとした顎がやせて細くなっていたのでまるで別人のようでした。
白髪だけどしっかりとした眉毛は父のものだから、やはり父です。
他県に住んでいる父が入院している時、
移動は少し大変だったけれど、年に2回の帰郷に合わせて会いに行っていたらもう2度と会えないかもしれないと思い、会いに行けるタイミングで会いに行っていました。
時はさかのぼり、父が急激に弱っていくまでの過程を書きます。
父の元気な姿を見たのは2025年の正月が最後。
次に会った2025年の夏には、ベッドの上で過ごしていることが増えて花火大会の夜も外に出てはきませんでした。
次に会ったのは2025年の年末からお正月にかけて。
父は白く細くなり、ゴリラのようにがっしりとした体が見る影をなくしていました。
元旦の朝はダイニングで一緒に食事をしましたが、それ以外の食事は基本自分の部屋で食事していました。
私たちが帰る日、午前中に父と近所の神社に初詣に行きました。
父は歩くのが辛いようで、神社の段差のあるところで腰かけていました。
立ち上がる時は人の手が必要で、よいしょと立ち上がっていました。
神社の帰りに、家族でよく行ったラーメン屋さんに行き、食事をしました。
父は頼んだラーメンとチャーハンにほとんど手を付けていませんでしたが、家族と食卓を囲んでにこにことしていました。
食べられなかったチャーハンを、長男に「食べて。」とよこしていました。
これが父と私たちの最後の外食となりました。
私たちが帰ってすぐだったか、父がシャワー中に倒れてそのまま救急車で運ばれました。
腰の骨が粉砕骨折していました。
ここからずっと入院生活となりました。
2025年の3月25日水曜日、夫の仕事の休みが取れたので、日帰りでしたが父のお見舞いに行きました。
父は前に見た時よりもさらに痩せこけていて、病室に入った瞬間、父の姿を見て涙があふれてきました。
「○○だよ。」
と言ったら、「わかっとる。」と父の声で、父の口調で話しました。
私は話せるときに伝えたいことを話しておかなくてはと思い、
「頑張って働いて、大きくしてくれてありがとう。」
と伝えました。
父は、「嬉しいことを言ってくれる。」と言っていました。
この日の父はやたらと母の顔ばかり見ていて、せわしく動いている妻である母の顔を見て、
「美人だなあ・・・。」とつぶやいていました。
78歳になる年老いた母を見て、「美人だ。」なんてしみじみと言ってくれるのは、この世に父しかいないでしょう・・・。
あとで母に、父が言っていたことを伝えました。
案の定、父が発言した時は聞こえていなかったようです。
母は「そう?」と、嬉しそうにしていました。
父は苦しくてあまり多くは話せないようでした。
だけど父独特の口調を聞けて嬉しかったです。
以降、父は憎まれ口をたたく日もあれば、宙を見つめて呆然としている日もあり、その日によってだいぶ様子が違うという母の話でした。
4月に入り、父危篤の連絡があり、急いで駆け付けました。
父は持ち直したようで静かに眠っていました。
話しかけると目を開けますが、またすぐに目を閉じます。
もう話す力はあまり残っていないようでした。
この日から絶飲食が始まりました。
夫は仕事があるのでその日のうちに家に帰りましたが、私と子供は残り、実家にいられる間は毎日お見舞いに通いました。
明日帰らなくてはいけないという日、私はお見舞いに行った時ににずっと父の足をさすりました。
足の甲からふくらはぎの前側を通り膝下までです。
上下に均等に力を込めてゆっくりと手を動かしていると、冷たくなった父の足が少しずつあたたかくなっていきます。
右手が疲れたら左手にかえて足をマッサージし続けました。
右足があたたまったら左足に移りました。
これが父にできる最後のことかもしれないと思うと、手を止めることができませんでした。
黙って次の日から来なくなったら戸惑うかもしれないと思い、帰り際、父に話しかけました。
「明日の朝早く帰るから、しばらく来れないけど、またね。」
私はこれが最後かもしれないと思ったけど、さよならは言えないし、選びに選んで出た言葉が、「またね。」でした。
父は一瞬大きく目を見開き、何か言いたそうに見つめてきましたが、そっと力が抜けたかのように目を伏せました。
私は病室を出るとき振り返り父の顔を見ました。
父は疲れたように目を閉じていました。
これが生きている父を見た最後となりました。
父が亡くなった日、母と妹がそばについていました。
母から聞いた話です。
母は父の手を握り、繰り返し声をかけていました。
父に取り付けてあった装置の数値が急に低下してきました。
今まで70~80くらいで打っていた心臓の動きが、50、40と落ちてきました。
いよいよかとなり、妹が看護師を呼びに行きました。
心臓の動きが0になった瞬間、母が大きな声で「お父さん!!」と叫ぶと、一瞬父の心臓が大きく鼓動して数値が跳ね上がりました。
・・・が、すぐに0になりました。
父が息を引き取りました。
父の告別式はとても小さな会場でした。
生前父が母に「俺の式場はここでいいよ。」と言っていたらしいです。
父が自分で動けるときに、1人で出かけて自分で遺影を作ってきたそうです。
「俺の遺影はこれがいい。」
母は、ちょっとこれは若すぎると思ったけれど、相談して父の意思を尊重することにしました。
式には父の親せきと母の友人が1人来ました。
小さな会場に少ない参列者。
お通夜は省略。
静かな告別式でした。
父の遺影は父が23歳の時の写真で、交番で姿勢を正して座っている写真。
モノクロの写真です。
若い父はまっすぐにカメラのほうを見ていて、目はキラキラと輝いていました。
写真を撮ったのは母。
若い頃、結婚前に撮った写真らしいです。
写真の父は、とても嬉しそうにこちらを見つめていました。
この写真が父が一番好きな写真だったのかと思うと、本当に偏屈でどうしようもなく大変だったところもあった父ですが、ほんとうに母のことが大好きだったのだなあと思いました。
我が道を進む父でしたが、いつも一生懸命で一途な父でした。
最近他界した父の思い出話でした。
お付き合いくださりありがとうございます。
みなさんの今日が輝きますように。
ではまた。
m(__)m



