多夫一婦制を実現する女性から教えてもらったのは、自分を縛らない生き方
私が20代の頃に知り合った女性の話です。
彼女は別居婚をしている夫と、同棲している彼氏と、それ以外にも彼氏が一人いました。
夫と、夫の他に、2人の恋人がいたのです。
夫や、2人の恋人は、みなお互いの存在を知っていたし、認め合い、均衡を保っていました。
彼女が私にその話をしたのは、彼女から見た私が、
『~しなければならない。』
『~でなくてはならない。』に縛られて、
自分で自分の成長を抑制し、苦しめているように見えたから。
彼女は、当時独身だった私に、恋人をたくさん持つように勧めていたわけではなくて、
もっと自分の心の声に耳を傾けて、自分の声に従うように。
という話をしたかったようでした。
私が若い頃に聞いた、1人の女性の生き様から、心の在り方や、生き方について考えたことをお話しします。
自分の常識が、皆の常識ではない
そうは言っても、20代の私にとって、夫の他に恋人が2人いて、みんな平和。
だなんて、とても衝撃的な話で、にわかには信じ難いことでした。
男性側は、嫉妬したり、闘争心を燃やすとか、そういうことは無かったのでしょうか?
彼女の夫は、
「俺一人では、〇子を幸せにできない。」
と、言っていたそうです。
私は唖然。
そういう考え方もあるの?!という感じでした。
〇子さんは、夫ととの関係は良好でしたが、別居婚をしていて、
普段は恋人の1人と一緒に暮らしていました。
夫が暮らす自宅に行く時は、一緒に暮らしている恋人が、夫の元まで車で送り、夫が妻の恋人に交通費を渡していたそうです。
夫の家と恋人の住む家は、車で片道数時間もの距離でした。
自分の常識が、すべての人の常識ではない。自分のあたりまえが、すべての人のあたりまえではない。・・・ですよね。
少しはわかっていたつもりでしたが、衝撃を受けた、私でした。
- 自分で、手かせ足かせをつけて、生きてはいないか?
- 望まなければ手に入らないということ。
- 自分で自分を愛するということ。
自分で、手かせ足かせをつけて、生きてはいないか?
今まで私が生まれ育ってきた世界は、広大な世界のほんの一部でしかなく、
知らないことや、知らない価値観の方が、むしろ大多数を占めています。
自分で自分を小さな折の中に閉じ込める癖がないか、自分で手かせ足かせをつけてはいないか?
様々なジャンルに置いて、自分の可能性に蓋をしてしまっていないか?
・・・そう、考えさせられました。
望まなければ手に入らないということ
望む前に、望むことを諦めてはいないか。
自分の心ではなく、他人の心の中ばかり、見ようとしては、いないか?
無意識に人の顔色をつい気にしてしまう癖がある人は、自分の心を無視してしまいがちです。
自分自身の心の声を聞くことができないのに、
自分自身の本当の望みなど知りようもないし、かなえられるはずもありません。
〇子さんには、「素直に思えばいいのに!」と、言われました。
自分で自分を愛するということ
自分自身の美しさに気がついていますか?
自分だけが持つ美に磨きをかけていますか?
種類の違う隣の花ばかり見て、
「どうしてああじゃないのか。」
「ああなりたいのに、なれない。」
と苦しんではいませんか?
知り合いの女性に言われたことがあります。
「私は、昔、山田さんみたいになりたかった。」
「山田さんみたいな女の人になりたかったんです。」
「だけど無理だから、自分は自分であることにしました。」
「それで、こうなりました!」
と言って、笑っていました。
彼女は花にたとえるなら、最盛期のヒマワリ。
真夏の太陽に負けないほどのまぶしい輝きで、太い茎でたくましく、煌々と咲き誇る色鮮やかなヒマワリのような女性でした。
私だって、彼女になりたくても、なれないでしょう。
例えば私がヒマワリを目指したら、明け方、まだほんのり薄暗い時間帯のヒマワリです。
ヒョロヒョロの細い茎で、花の色素も薄く、小振りです。
弱々しいヒマワリになってしまっていたことでしょう。
私という素材で、ヒマワリを目指しても、学ぶことはあるかもしれませんが、大損ですよね。
本来の自分の力を存分に発揮する前に、寿命の方が先に来てしまいそうです。
まずは自分が何の花であるのかを知り、その花を見事に咲かせる方法を考えた方が良いのでしょう。
自分を知るためには、やはり自分の心との相談を、避けることはできません。
さいごに
〇子さんには、子供がいて、子供が思春期に入った頃に、恋人2人と別れて、夫と子供の元へ、帰っていきました。
何が幸せと感じるかなんて、人それぞれで、何が心地よいと感じるかなんて人それぞれで、それを他人が決められるはずもなく。
それもまた、彼女の生き方がもたらした、出来事だったのでしょう。
彼女は言っていました。
自分自身であること。
そうすれば、そんな自分に合った出来事や、人が集まってくる。
今の私はどうだろうか。
割と正直に生きているつもりだけど、たまに拗(こじ)らせています。
私とは何か。
本当の私は何を言っているのか。
今一度、しっかりと耳を傾けようと思いました。