山田さんの tea time(ティータイム)

高齢出産。子育て。雑記ブログです。

命の大切さについて

命の大切さについて

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こんにちは。私はお茶をするのが大好きな山田さんです。

 ▷山田さんのプロフィール

 

辛くても、生きていかなきゃならない理由って何?そのように考えたことはありませんか?

私は考えたことがあります。

娘と死別した時です。

その時に思い至ったことにいて書きます。

 

私が娘の命の終焉に立ち会って、思うようになったこと

私が最も命の大切さについて考えたのは、

自分の産んだ娘が生後43日でこの世を去った時でした。

 

周囲の人の中には、

赤ちゃんはまだ自分の人格なんかないから早く死んだって可哀そうじゃない。

と主張してきた人もいたけれど、

 

私はそのようには考えられません。

一体いつから人の魂は肉体に宿ると思っているのでしょうか。

物心がついてからですか?

それならそれまでの赤ちゃんは、

ただの肉の塊だとでもいうのでしょうか。

 

親は肉の塊を抱いて、

「可愛い可愛い」

と昼夜寝る間を惜しんで肉の塊のお世話でもしているとでもいうのでしょうか。

泣くことでしか自分の意思を伝えることのできない赤ちゃんは、ただの肉の塊ですか?

娘の生前、

実際に娘の瞳からは生きようという意思の力を感じていたし、

娘が私の目を見るまなざしは、

いつも何かを語りかけていて、

私たちは言葉が無くても心で語り合っているかのようでした。

 

言葉じゃなくて、

心の熱量で語り合っていました。

 

彼女は生まれたての赤ちゃんでしたが、

過酷な条件を持って生まれてきた自分の体で、

自分の人生を生き始めていました。

与えられた命を生き抜こうと、

懸命に自分の運命と闘っていました。

 

その命の闘いは、

私たち夫婦の心に戦慄に焼き付き、

熱く込み上げるものがあるほど、

生命の輝きに満ちていました。

 

娘が旅立った後の苦しみ

彼女があの世に旅立った後、

あの鮮烈な命の輝きが忘れられなくて、

 

辛くて苦しくて寂しくて、

生きることはこんなにも苦しいことなんだと思い知りました。

 

今まで生きてきた中で、

私だってそれなりに辛いことがあったはずなのに、

まったく比にならないくらい、

息をするのも歩くのも苦しくて、

いつか自分に訪れるだろう死を、

待ちわびるようになってしまいました。

自分はあとどのくらい生きればよいのだろうか。

世界の色が変わってしまって、

心がゆっくりと壊死していくかのようでした。

 

そのくらい、

愛する者との別れは辛いことだったのです。

 

もう二度と、

同じ体で、

同じ名前で、

愛する人と対面することができない。

 

会いたくて、

今すぐ会いたくて。

でも会えなくて。

 

残りの人生、

自分はどのくらい生きるのかと毎日考えるようになりました。

 

死んだら亡くなった娘に会えると思い、

今日を生きることよりも、

お迎えの日を夢見て生きるようになっていました。

 

もしも自分が死ぬのがずっと先になって、

先にあの世に還っていった相手が、

もうどこかで生まれ変わって新しい人生を歩んでいたとしたら、

 

その時はあの世で愛する人が天寿を全うして還ってくるのを待ち、

再会を喜ぼうと考えたり。

 

残りの人生が、

死へのカウントダウンにしか思えなくなってしまっていました。

亡くなった娘に会いたい・・・。

 

なんのために生きるのか

会いたくて。

会いたくて。

もう会えなくなってしまったことが信じられなくて。

恋しくて泣いて。

こんなにも寂しかったことなどないというくらい、

泣いて泣いて、

会いたくてまた、

泣きました。

 

否応なしに命を奪った運命の力。

圧倒的な死の力を実際に目にして、

今まで生き残ってきた自分という存在を不思議に思いました。

 

大したことは何もしていないのに、

今日も生かされている。

今日も生きている。

 

なぜ私が生きているのでしょうか。

 

この世にはたくさんの死が溢れているのに、

私が生きている。

 

テレビやネットでは、

毎日誰かの死が報道され、

表ざたにされない死に至っては、

もっともっと大量にこの世に溢れています。

 

その中で、

老衰で亡くなる人がいったいどれほどいるというのでしょうか。

 

そのような世の中で、

私はまだ生きているのです。

私が生かされている理由って、何・・・?

生きたくても、

生きたくても、

どんなに生きたくても、

死という唯一無二の圧倒的な力の前で、

人は無力です。

こうも躊躇なく、

そして唐突に奪われるものなのかというくらい、

容赦なくその瞬間は訪れるのです。

 

死は、

人の力でコントロールできるものではない。

 

ちょっとした生き抜く知恵や努力で何かが変わることもあるのかもしれないけれど、

やりつくした末の死が存在するのかもしれないけれど、

私にはまだわかりません。

 

だから私はお迎えを待つことしかできません。

 

死が私の元へ訪れるのを待つしかない。

 

生き抜いたその先に、

何が見えるのか期待しながら。

 

死について考えることは、生きることについて考えること

死ぬことばかり考えている中で、

気がついたことがありました。

死について考えることは同時に、

生きることについて考えることにもなっているなと。

 

私の娘は人間の女性としてこの世に生を受け、

0歳のままこの世を去りました。

だけど私はどうでしょうか。

 

同じく女性として生まれ、

今日まで無事に生き残っています。

 

成人をして、

結婚をして、

子供まで産みました。

 

丈夫な体をいただいて、

今日を生きて、

御飯を作ったり、

子供の送り迎えをしたり、

洗濯物を畳んだり、

小言を言ったりして生きています。

 

様々な不運の手から逃れて、

今日も何気ない一日を過ごしています。

 

生まれ育った家庭環境の問題、

幼少期から病気がちだったこと、

やらなくてもいいような失敗をしたこと。

いろいろなことがあったけど、

私は生きている。

 

生かされているから、

生きているのです。

 

命を奪う圧倒的な力とは逆の、

それもまた圧倒的な力によって、

私は生かされてきました。

 

だからこの命は私だけのものではないと考えるのです。

ならば、命はいったい誰のものなのか?

私の命は、

生と死を繰り返す大きなうねりの中の一部であって、

私の物ではないのです。

 

そのうち生きたいと訴えたところで、

死ななきゃならない日は来るのだから、

心配はいらないということです。

 

今日も何気ない一日を生きる

今私ができることを、

精一杯やらせてもらって。

時々さぼりながらも、

夫や子供に小言を言いながらも、

生きています。

 

いつか来る、

圧倒的な死を前に、

あたふたしないように。

今まで生きてきた苦労に報いるように。

 

長いようで短い、

人生の途中を、

今日も生きています。

 

まとめ

生きる理由は、

生かされているから。

それだけです。

 

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