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愛するとはどういうことか知りたい時に読みたい、ニーチェの言葉

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ニーチェとは、19世紀後半に生きた、ドイツの哲学者です。

フリードリヒ・ニーチェ【1844年~1900年】。

愛するとはどういうことか知りたい時に読みたい、ニーチェの言葉を集めました。

“そのままの相手を愛する”

愛するとは、若く美しい者を好んで手に入れたがったり、すぐれた者をなんとか自分のものにしようとしたり、自分の影響下に置こうとすることではない。

愛するとはまた、自分と似たようなものを探したり、嗅ぎ分けたりすることでもないし、自分を好む者を好んで受け入れることでもない。

愛するとは、自分とは全く正反対に生きている者を、その状態のままに喜ぶことだ。自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のままに喜ぶことだ。

愛を使って二人のちがいを埋めたり、どちらかを引っ込めさせるのではなく、両者のちがいのままに喜ぶのが愛することなのだ。

出典元:超訳 ニーチェの言葉

自分を満たすために愛があるのではなく、対象のあるがままを受け入れる姿に愛があるということなのでしょうか。 

思うこと

愛を使って二人のちがいを埋めたり、どちらかを引っ込めさせるのではなく、両者のちがいのままに喜ぶのが愛することなのだ。

出典元:超訳 ニーチェの言葉

耳が痛いです。

夫と喧嘩する理由は、大抵二人のちがいを埋める作業の中にある気がします。

冷静な心のまま、互いの得意を生かし合うことができればいいのに・・・、と思います。

“愛することを忘れると”

人を愛することを忘れる。そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。

こうして、人間であることを終えてしまう。

出典元:超訳 ニーチェの言葉

人を愛することと、自分を愛することは、同じなの?

思うこと

人を愛することを忘れる。そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。

出典元:超訳 ニーチェの言葉

自分が発した念は、いいことも悪いことも全部返ってくると思っています。

相手のある部分を憎めば、自分の中にある、同じ部分を憎むことになる。

 

自分ばかりが中心で、相手をただの引き立て役にしてしまうと、愛はくすんでいくし、

相手ばかりを立てて、自分を犠牲にしすぎても、愛はくすんでいきます。

どちらも大切にできないと、成立しないですね・・・。

 

人を愛し、自分を愛する。

自分を愛せないと、人も愛せない。

両方繋がっているのですね。

 

▽美輪明宏さんが相談者の悩みに応えてくれたテレビ番組を記事にしています。2人目の方の相談で、「自分を愛せるようになって それから他人」と、話されています。

“愛する人の眼が見るもの”

他人から見れば、どうしてあんな人を愛しているのだろうと思う。あんな人は格別にすぐれているわけでもないし、見ばえも良くないし、性格も別に良くないのに、と思うのだ。

しかし、愛する人の眼は、まったく異なる点に焦点をあてている。愛は、他の人にはまったく見えていない、その人の美しく気高いものを見出し、見続けているのだ。

出典元:超訳 ニーチェの言葉

いいなと思っても、他の人からあまり評価されていなかったりすると、自分の感性に自信がなくなってしまったりすることはありませんか?

逆に、本当はそれほどでもない、と思っていても、多くの人から高評価を得ていれば、いいもののような気がしてくる・・・、とか。

思うこと

愛は、他の人にはまったく見えていない、その人の美しく気高いものを見出し、見続けているのだ。

出典元:超訳 ニーチェの言葉

いいと思ったのなら、自信をもって愛せばいい。

そうすれば、

いいと思った自分自身を、認めることに繋がります。

 

一部の人にしか見抜けない輝きを見つけることができたら、わくわくします。

“「~のために」行うことをやめる”

どれほど良いことに見えても、「~のために」行うことは、卑しく貪欲なことだ。

誰々のためにであろうとも、何々のためにであろうとも、それが失敗したと思えるときには相手、もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思えるときには自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。

つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ。

けれど、純粋に能動的な愛から行われるときには、「~のために」という言葉も考えも出てくることはない。

出典元:超訳 ニーチェの言葉

「~のために」というキーワード、意外と使ってはいませんか。

思うこと

誰々のためにであろうとも、何々のためにであろうとも、それが失敗したと思えるときには相手、もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思えるときには自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。

つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ。

出典元:超訳 ニーチェの言葉

「~のために。」の、「~」の部分に自分自身を当てはめると、分かる気がします。

 

「あなたのためにしたのよ。」

人から言われたら、

嬉しい気持ちの反面、なぜか心がしんどく・・・。

 

「あれだけしてあげたのに、どうして。」

ちょっと待って。

頼んでないのに、何の期待? 

しかも何かをしてもらった手前、はっきりと言い返しづらい・・・。

 

一見尽くす愛が、重く感じる時は、こういう時でしょうか。

 

愛は重りではなくて、

相手にとって、空気のように軽く優しい存在でありたいです。

でも、「~のために」って、よく陥るんですよ。

できるだけ早く気がついて、修正したいですね。

さいごに

「朝の空に残る三日月」の写真

ニーチェの言葉、

  • “そのままの相手を愛する”
  • “愛することを忘れると”
  • “愛する人の眼がみるもの”
  • “「~のために」行うことをやめる”

を、紹介しました。

  • 親子。
  • 夫婦。
  • 家族。
  • 友人。
  • 仲間。
  • 恋人。

など、様々な関係において、当てはまることですね。

 

肩の力を抜くとすごく楽になります。