山田さんの tea time

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母の伊勢湾台風の思い出と、防災グッズ

昭和の三大台風のひとつ、伊勢湾台風。

1959年(昭和34年)9月26日、和歌山県潮岬(しおのみさき)に上陸した台風15号。

死者、行方不明者合わせて5098人。

 

私が幼い頃、母から、よく、伊勢湾台風の思い出話を聞かされていました。

 

母は、当時小学校6年生、12歳でしたが、

75歳になった今も、伊勢湾台風の記憶は、鮮明に覚えているそうです。

 

あっという間に水かさが増えたこと。

人の叫び声。

水に浸かった時の冷たさ。

水に浮かんだ履き物。

ゴーゴーと呻る(うなる)、風と水の音。

 

母が暮らしていた地域は、母曰く、伊勢湾台風で、被害が大きかった地域のひとつだったそうです・・・。

 

防災グッズについて考えていた時、

私の実家には常に防災グッズがあり、母がよく、点検見直しをしていたことを思い出しました。

 

防災グッズは幼い頃から身近にありましたが、私が幼い頃も、今も、とうとう出番はありませんでした。

・・・幸せなことですね。

 

期限切れ間近な食料を、母と妹と一緒に食べていた記憶が、何度かあります。

 

母は今でも言います。

「缶詰は役に立つから、常においておくといいよ。」

「水はいるよ。」

他にもいろいろ・・・。

 

私はのんびりとしたものです。

すぐに必要なもの、趣味のものではないと、どうしても後回しになってしまうのです。

 

今、私の家にある防災グッズといえば、2リットルの水数本と、少しの缶詰と、ゼリー飲料です。

 

防災グッズを見直そうと思った時に、思い出したのが、

 

母の伊勢湾台風の思い出話と、

私が子供の頃から、家に置いてあった、防災グッズのことでした。

 

▽伊勢湾台風が上陸した、和歌山県潮岬(しおのみさき)

 

▽昭和三大台風

伊勢湾台風 - Wikipedia

室戸台風 - Wikipedia

枕崎台風 - Wikipedia

 

 

母の伊勢湾台風の思い出

母の防災グッズや防災に対する意識は高いです。

防災グッズをひとまとめにしてすぐ手に取れるところに置いてあり、貴重品は小さなリュックに詰めてひとまとめにしてあります。

「何かあったらこれを背負ってすぐに動けるようにしているの。」

(・・・盗難は心配ですね。)

 

母は何かあるとすぐに物を送ってくれるのですが、

そのたびに、

「救援物資を送るわ。」

という言葉を使います。

 

救援物資。

母が子供の頃に経験した、伊勢湾台風の存在が大きいのでしょう。

 

母が子供の頃、暮らしていた地域は、ちょっとした都会の、端の方で、

港や貯木場が近くにあったそうです。

 

近所に水場が多くて、ボート屋さんもあったそうですよ。

 

母が住んでいた家は、1階建ての長屋の1室でした。

 

家族で夕食を食べている時に、台風はやってきました。

 

母は当時、12歳。

小学校6年生でした。

 

その時、母と一緒にいた家族は、

義理母と、9歳年上の兄、3歳年上の兄。

姉と妹。

 

母を含めて、6人でした。

 

母の伊勢湾台風の思い出を時系列順で書くように意識していますが、多少前後しています。

母の伊勢湾台風の思い出
  • 酔っ払いの声だと思った、危険を知らせる声。床下浸水
  • 床上浸水。押入に避難
  • どんどん増える水。天井裏に避難
  • 金づちなのに、通帳やお金を取りに行くため泥水に飛び込んだ義理母
  • 義理母の救助のために泥水に飛び込んだ兄たち
  • 天井裏で過ごす、台風の夜
  • 翌朝、広がる青空と、見た景色
  • 苦手だった梅干しが、忘れられないほど美味しい味に
  • 手作りのイカダと、借りたボート
  • 周辺地域ではパンの値段が3倍に
  • 男も女もない、服を着て過ごす
  • 穴をあけた黒いごみ袋を着た子供たち
  • たった一人で一夜を過ごし、救助を待った、隣の家の一人暮らしのおばさんの話
  • 小学生二人は親せきの家に疎開
  • 泥がしみ込んだ家具は戻らない
  • 草木が育たなくなった近所の公園
  • たくさんの別れ。机の上の花

母の思い出話なので、母の語り口調で書いていきます。

 

 

酔っ払いの声だと思った、危険を知らせる声。床下浸水

台風が来た時は、家族で夜ご飯を食べていてね、

今まで大きな台風というのを経験したことがなかったから、家族みんなのんびりと構えていたんだよ。

 

「○○が、○○ぞー!!」

「○○が、○○ぞー!!」

 

家の外では、酔っ払いが、同じ言葉を繰り返し叫んでいた。

 

何を言っているのか、はっきりとわからなかったけど、

その場にいた家族みんな、酔っ払いが外で騒いでいるだけだと思っていた。

 

実はその酔っ払いの叫び声だと思っていた言葉は、危険を知らせる言葉だったのだけどね・・・、

その時は気がつかなかった。

 

ちょろちょろと音をたてて、土間に水が入ってきた。

「裏のどぶ川が詰まったのかな。」

「後で掃除をしないとね。」

なんてことを家族が話していた。

 

まだこの時はのんびりとしていて、本当にちょっと掃除をすれば解決することだと、家族みんな思っていたんじゃないかな。

 

いつの間にか外から、

ゴー!!

という、大きな音が聞こえてきてね。

 

ゴー!

という音が聞こえて、すぐに、土間に置いていた鉢植えが、ぷかぷかと水に浮き始めたんだよ。

床上浸水。押入に避難

家族みんな、急いでご飯をかきこんで、

小学生だった私と、妹が、押し入れの、上の段に上がったの。

 

畳みやテレビが水に浮かぶのを見ていたよ。

ぷかぷかと揺れていた。

 

家族の誰かが言った。

「さっき、堤防が切れたぞ、って言ってたんじゃ。」

 

酔っ払いが叫んでいると思っていた言葉は、

堤防が切れたぞ。

だったんだね。

 

どんどん流れ込んでくる水を見て、私も「堤防が切れたぞ。」って言ったんだと思ったよ。

どんどん増える水。天井裏に避難

家に水が流れ込み始めてから、高さ2メートルの位置に水がくるまで、あっという間だったよ。

どんどんどんどん水が増えてね。

早かった。

 

2メートルでやっと水が止まったの。

天井ぎりぎりのところ。

 

水が増えてくる勢いがすごかったから、天井裏に上がったの。

 

天井に蓋があって、ハシゴがあったから、ハシゴをかけて、まず妹が上がった。

そして私と姉。

母が上がり、3歳年上の兄が登ろうとしていたらハシゴが流れてしまって。

 

でも兄二人とも天井裏に上がれたよ。

 

うちは上がれる天井裏があって良かった。

金づちなのに、貴重品を取りに泥水に飛び込んだ義理母

家族みんな天井裏に上がったところで、

おかあさんが、通帳とお金を取りに行くって、水に飛び込んじゃったの。

水といっても、泥水だし、真っ暗だし、何も見えない中に。

 

しかもあの人泳げなくてね。

金づちなんだよ。

でも、潜っていっちゃった。

義理母の救助のために泥水に飛び込んだ兄たち

二人のお兄さんが慌てて飛び込んで、救助をしに行ったよ。

 

兄二人は何とかおかあさんをつかまえて、一度家の外に出て、壁をつたいながら屋根の上に上がったんだって。

雨と風が強かったって。

 

屋根に上がって、外からなんとか屋根に穴をあけて、おかあさんと、兄二人が屋根裏に入ってきたよ。

 

おかあさんは、どうやったのか、通帳とお金を手にしていた。

 

緊急事態の時の人って、すごいね。

あんな暗い中、どうやって見つけたんだろって思う。

天井裏で過ごす、台風の夜

天井裏に上がったはいいけど、体が濡れているから寒くて。

 

天井裏に置いてあった長持(ながもち)に、いつから入れっぱなしだったのか分からないような服があって、

カビ臭かったけど、みんなでカビ臭い服を着た。

寒いより良かったからね。

 

気がついたら、みんな眠ってた。

翌朝、広がる青空と、見た景色

気がついたら朝になっていてね。

恐る恐る外に出たの。

 

そしたら、綺麗な青空で。

 

・・・泥水の海が広がっていた。

 

看板や、家のものが、沢山浮いていたよ。

犬や豚の死がいも流れてきた。

 

犬はわかるけど、豚はどこから来たんだろうね・・・。

動物たちも、怖かっただろうなあ・・・。

 

あちこちにボートが見えて、

ヘリコプターが、たくさん飛んでいたよ。

 

亡くなった人を乗せているボートを見た。

遺体にシートをかけていたけど、白い足が出ていて。

遺体だって、分かった。

 

警察や消防の人が来て、行方不明者のチェックをしていたよ。

誰かいない人はいないかって。

行方不明の人がいる場合は、遺体を集めているところがあるから、見に来てくださいって、言っていた。

 

昼過ぎに、水とおにぎりを配りに来た。

おにぎりは1人2個ね。

苦手だった梅干しが、忘れられないほど美味しい味に

大家さんがボートで様子を見に来てくれてね。

自分で漬けた梅干を、1人1つずつ、分けてくれた。

すごいしょっぱい梅干しよ。

塩味がすごくて。

 

私は梅干は苦手で、丸々1個、食べたことはなかったんだけど。

その梅干しは、すごく美味しく感じて、全部食べた。

 

あの味は、今でも忘れないねぇ。

嬉しくてね。

美味しかったよ。

手作りのイカダと、借りたボート

家を留守にしていた父が、イカダで私たちのところへ来たよ。

朝になって、すぐに私たちを探しに来たみたい。

 

「おーい!みんないるかー?!」

と言って、父がイカダの上で立ち上がったの。

 

そうしたら、立ち上がった勢いで、イカダがひっくり返ってしまってね。

泥水に落ちちゃったよ。

 

来るまでがすごく大変だったらしいね。

人のイカダを借りてきたんだって。

 

みんな工夫して、自分たちでイカダを手作りしていた。

あちこちにある、浮かんでいるものを使って。

 

私たちはというと、近所のボート屋さんのボートを借りていた。

ボート屋さんがあったの。

 

誰の了承も得ていないけど、使わせてもらった。

周りの人たちもみんな、そうしていたよ。

誰も怒る人はいなかった。

周辺地域では、パンの値段が3倍に

父が言うには、内田橋のところまで水が来ていて、

パンや食べ物を買ってから、私達のところに来てくれたのだけど、

パンの値段が3倍くらいになっていたんだって。

男も女もない、服を着て過ごす

服がなかったから、しばらくの間、男も女もない服を着ていたよ。

お姉さんはいつも綺麗にしていたから、綺麗ではない姿を誰にも見られたくなくて、

自分の会社の人たちが様子を見に来てくれた時には、隠れていた。

 

家族には、自分でお礼を言わないと、と怒られていたよ。

 

9歳年上のお兄さんが、「体調を崩して寝ている。」と、説明して、お礼を言っていたよ。

お兄さんとお姉さんは同じ会社に通っていたからね。

穴をあけた黒いごみ袋を着た子供たち

台風が来て、しばらくの間見かけたのが、

黒いごみ袋に穴をあけて、着ていた子供たちね。

首と、腕のところに穴をあけてね。

 

服がなかったからねえ。

続く

長くなったので、続きはそのうち。

 

母が見た、伊勢湾台風の思い出の続きと、

母の防災に関する話を書く予定です。