山田さんの tea time

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母の伊勢湾台風の思い出と、防災グッズ つづき

ご訪問ありがとうございます。

 

以前書いた記事の続きです。

前回の内容
  • 酔っ払いの声だと思った、危険を知らせる声。床下浸水。
  • 床上浸水。押入に避難。
  • どんどん増える水。天井裏に避難。
  • 金づちなのに、通帳やお金を取りに行くため泥水に飛び込んだ義理母。
  • 義理母の救助のために泥水に飛び込んだ兄たち。
  • 天井裏で過ごす、台風の夜。
  • 翌朝、広がる青空と、見た景色。
  • 苦手だった梅干しが、忘れられないほど美味しい味に。
  • 手作りのイカダと、借りたボート。
  • 周辺地域ではパンの値段が3倍に。
  • 男も女もない、服を着て過ごす。
  • 穴をあけた黒いごみ袋を着た子供たち。

 

昭和の三大台風のひとつ、伊勢湾台風。

 

伊勢湾台風は、

1959年(昭和34年)9月26日、

和歌山県潮岬(しおのみさき)に上陸した台風15号です。

死者、行方不明者合わせて5098人という、大きな被害をもたらしました。

 

子供の頃に被災した母の思い出と、母の防災に対する思いや、防災グッズについて書きます。

 

▽昭和三大台風

伊勢湾台風 - Wikipedia

室戸台風 - Wikipedia

枕崎台風 - Wikipedia

 

 

母の伊勢湾台風の思い出

母が子供の頃、暮らしていた地域は、ちょっとした都会の、端の方。

港や貯木場が近くにあったそうです。

近所には、水場が多くて、ボート屋さんもあったそうです。

 

母が住んでいた家は、平屋建ての長屋。

 

家族で夕食を食べている時に、台風はやってきました。

 

母は当時、12歳。

小学校6年生でした。

 

台風の時、一緒にいた家族は、

義理母、

9歳年上の兄、

3歳年上の兄、

姉、

妹。

 

母を含めて、6人でした。

 

母の伊勢湾台風の思い出。今回の内容
  • たった一人で台風の夜を過ごし、救助を待った、隣の家の一人暮らしのおばさんの話。
  • 小学生二人は親せきの家に疎開。
  • 帰ってきた飼い犬、エスとの再会。
  • 泥がしみ込んだ家具は戻らない。
  • 被災後、草木が育たなくなった近所の公園。
  • 元の小学校に戻る。たくさんの別れ。机の上の花。

母の思い出話です。現在75歳の、母の語り口調で書いていきます。

たった一人で台風の夜を過ごし、救助を待った、隣の家の一人暮らしのおばさんの話

隣の家には、おばさんが一人で暮らしていてね、おばさんは台風の夜を一人で過ごしたんだよ。

水がどんどん押し寄せてきたから、押し入れに上がり、

布団を積んで、その上に座って、屋根裏に顔を出して救助を待ったんだって。

体は水に浸かっている状態。

首から上だけが水面の上ね。

 

体が冷えて動けなくなってしまったんだよ。

上がろうと思った時には、屋根裏に上がれなくなっていたんだって。

冷えるとね、動けなくなるんだよ。

 

おばさんは、朝まで布団の上に座ったまま。

朝になって様子を見に来た大家さんに助けを求めて、助かったんだって。

「助けてー。」「助けてー。」って。

 

それからしばらくは、首が動かなくなったらしいよ。

体を冷やしたらだめね。

いざという時、動けなくなるんだから。

小学生二人は親せきの家に疎開。たくさんの人たちに助けられる

水が完全に引くのに、2ヶ月はかかったよ。

泥水臭くて、臭いがひどかった。

 

不衛生だからって、子供は疎開することになったの。

私と妹は、八事(やごと)の親せきの家で暮らしたよ。

1ヶ月以上暮らしたかなあ・・・。

 

その後、近くにあった一番上のお兄さんの職場の下宿に、泊めてもらった。

空き部屋があってね。

そこから、近所の小学校に、臨時で通ったんだよ。

八幡(やわた)小学校っていうの。

 

洋服も、学校用品も何も無くてね。

全部泥水に浸かってしまったでしょ。

でも大丈夫だった。

 

私たちが疎開しているのを聞いて、周りの人たちが、服や文房具を持ってきてくれたんだよね。

 

いろんな人が、いっぱい持ってきてくれたの。

ありがたいでしょう。

帰ってきた飼い犬、エスとの再会

犬を飼っていてね。

名前はエス!

すごくかしこい犬だったんだよ。

 

雑種なんだけど、秋田犬の血が混じっていて、大きくてがっしりとして、しっぽがくるんとなっていて、かっこいい犬だった。

 

当時は、今と違って、犬の散歩っていったら、みんな鎖を外して好きに歩かせていたの。

リードをつけて一緒に散歩するとか、しないよ。

 

エスもいつも鎖を外して、好きに散歩させていた。

 

だけど伊勢湾台風の日は、ちょっと様子が違ってね。

 

動物って、予知みたいな不思議な力があるのかな。

わかんないけど、その日はすごく暴れてた。

鎖を外せって。

 

あまりに暴れるから、いつもより早めに外してやって、そのまま行方不明になってしまった。

その時は、台風も来ることだし、早めの散歩でいいかと思っていたよ。

 

そのまま、台風が来て、あっという間に水が押し寄せて来てね。

 

次の日、

家族と屋根の上で過ごしていた時に、犬の死体が流れてくるのを見ては、

「エスじゃなかったね。」

って、話していたの。

 

かしこい犬だから、どこかで生きているかもしれない。

だけど、もうだめだったのかもしれない。

そんな風に思いながら、

2ヶ月経ってね、

 

家にいる時に、外から、

「くぅーん。」「くぅーん。」

という声が聞こえて、外を見たら、やせた犬がいたの。

 

「エスだ!!」

と言ったら、家に飛び込んできたよ。

私が一番初めにエスに気がついたんだから。

 

エスはやせて、精悍だった面影は減っていたけど、エスだった。

 

怖い思いをしたからだろうね。

外にいるのを怖がって、畳の上に上がりたがるようになっていた。

 

普段は外にいるんだけど、天気の悪い日や、物音が気になる日は、家に入りたがった。

音に敏感に反応していたよ。

ちょっとした音で、怖がっていた。

 

エスの好きにさせていた。

家に入りたがっている時は、家に入れてやったよ。

 

エスは、帰ってきて以来、たまに家を留守にするようになったの。

1ヶ月の内、1週間くらいいなくなる。

 

たぶん、台風の時、お世話になった人がいるんだよ。

その人のところに行っていたんだと思う。

 

何度か後をつけたんだけど、いつも途中で見失ってしまって、どこにいったのかわからなかったけど・・・。

助けてくれた人に会いに行ってたんだろうなあ・・・。

 

死ぬ時は、家で死んだよ。

12歳くらいで、病死だった。

 

私は大きな犬が好きでね。

秋田犬ってかっこいいなぁ。

 

エスを思い出すの。

泥がしみ込んだ家具は戻らない

復旧作業が大変だったみたい。

みたいっていうのは、

私は妹と疎開していたから。

 

復旧作業をしていたのは、お兄さんたちだったから。

自分がしたわけじゃないもの。

だけど、大変だったって言ってたよ。

 

泥がしみ込んだものは、洗っても、洗っても、乾かしたら泥が噴き出してくるんだって。

もう捨てたってさ。

一回泥に浸かったものは、だめだね。

被災後、草木が育たなくなった近所の公園

ほら、家の近くにある公園ね。

行ったことあるでしょ。

あそこは、伊勢湾台風の前は、緑が茂って、青々とした公園だったんだよ。

 

でも、伊勢湾台風が来た後は、しばらく草木が育たなくなってしまった。

寒々しい感じのする公園になってしまったねぇ。

元の小学校に戻る。たくさんの別れ。机の上の花

臨時の小学校から帰ってきて、自分の小学校に戻ったらね、

亡くなった子の机の上に、花束が置いてあってね。

 

私のクラスは、1人。

その子は、家族みんなで亡くなったって。

 

9クラスあったんだけど、

それぞれのクラスに何人かずつ、亡くなった子がいたよ。

 

人が亡くなった情報を聞いては、みんなで泣いた。

母から聞いた、亡くなったり、行方不明になった人たちに多かった行動

亡くなったり、行方不明になった人は、

危なくなるって時に、外に逃げ出した人が、多かったみたいよ。

 

あとはうちみたいに1階建てで、だけどうまく屋根や、屋根裏に出られなかった人とか。

 

うちの近くの公園だけどね、

水が引いていったら、公園の池の部分に、人の死体がたくさん積もっていたんだよ。

逃げていった人が、池だと分からず、はまってしまったのかなあ。

 

水が増えると、溝や、もともと水のある場所が、分からなくなってしまうからね。

 

 

母が被災中に困ったこと。まとめ

被災中困ったこと
  • トイレがない。
  • 体が濡れて寒い。
  • 履き物がないと足を怪我する。
  • 喉が渇く。
  • お腹がすく。
  • 外で何が起きているのか分からない。
  • いつの間にか停電する。

トイレがない

トイレは、隣の家が2階建ての家を建築中だったから、そこに行って、物陰に隠れて、トイレを済ませていたよ。

悪いないなあとは思ったんだけどね。

体が濡れて寒い

服が濡れると、とにかく寒い。

着替えは必要だね。

屋根裏に長持ち(ながもち)があって、いつから仕舞っていたのか分からないような、カビ臭い服があったから、それを着たよ。

寒いよりはいい。

履き物がないと足を怪我する

水の中を歩いたりするから、脱げやすいものはだめ。

裸足はケガをするといけないから、裸足も危ない。

履き物はいるよ。

喉が渇く

被災すると、興奮するから、いつもより喉が渇くの。

飲み物はいるよ。

お腹がすく

すぐに食べられる物があるといいなあ。

お腹がすくから。

外で何が起きているのか分からない

とにかく何が起きているのか分からないの。

自分たちの身に何が起きているのか。

ラジオとか、情報は必要だよ。

いつの間にか停電する

真っ暗だよ。

いつの間にか停電していて、暗くてね・・・。

灯りが欲しいよ。

母の防災の心得

あんたたちが子供の頃は、お父さんが宿直でいない日なんか、1人で守らなきゃいけないと思って、

台風が来る夜は、お母さんは服を着たまま寝たよ。

すぐに逃げられるようにね。

 

枕元に防災グッズや、ミルク缶を置いていた。

 

2階に住んでいる人に、いざとなったら、避難させてって、声もかけておいた。

 

今でも台風は怖い。

今は、10階に住んでいるけどね。

防災グッズはまとめてあるし、水もまとめ買いしてある。

少しの間、お皿や火が無くても食べられる食料もあるよ。

 

貴重品はリュックにまとめてあって、いざとなったらこれを背負って、逃げるの。

 

あんたたちも、用意しておきなさい。

必要だから。

母の防災グッズ

おおざっぱで大らかな性格の母ですが、防災グッズに関しては、チェックを怠らなくて、よく中身を広げては、見直しをしていたなあと記憶しています。

 

母に、どういう防災グッズをそろえるといいか、聞きました。

母の防災グッズ
  • ラジオ(電池で動く)。
  • ライト。
  • 乾電池。
  • 履き物(かかとがあって、脱げにくいもの。ルームシューズ)。
  • ハサミ(何かといるそう)。
  • 水。
  • すぐに食べられる物。
  • 体をあたためるもの。

子供の頃、よく母が装備点検をしていて、私や妹に、使い方の説明をしていました。

 

備蓄食料は、賞味期限が長いものばかりでしたか、定期的に新しいものに入れ替えて、古いものは食べて消費していました。

 

乾電池は自然に放電してしまうらしく、使用推奨期限というものがあるようなので、たまに新しいものに買い替えて、古いものを使用していました。

 

今は携帯電話がありますが、いざという時、どこまで使えるのでしょうね。

 

▽エマージェンシーシート。体の保温に役立ちます。母が、ほらあれ、今はああいうのがあっていいね。と言っていました。

 

▽カンパン。母の防災グッズにこれが入っていて、食料の入れ替えの時に、よく食べていました。素朴な味ですが、私はこれ、好きでした。

さいごに

母の伊勢湾台風の思い出と、防災グッズにまつわる話を書きました。

母のお兄さんたちが天に還り、母の伊勢湾台風の話も、そのうち消えてしまうのかもしれない。

そう思ったら、ちゃんと記録をしておきたくなりました。

 

母にブログに書くことを説明して、いろいろ話を聞いていたら、今まで聞いたこともないような話も出てきたので、改めて聞いてみて良かったです。

 

母の防災に対する意識の高さは、自分が被災した経験から。

 

私は、幸せなことに、自然災害で大きな被害を被ったことはなく、どこか遠い話のような感じすらしていたのですが、

せっかく母から知ることができたのだから、取り入れて、防災のための準備をしている姿を、子供に見せておこう、と思いました。

 

例えば今は、自然災害とは縁が遠そうな土地に住んでいたとしても、自分の未来や、自分の子供たちが、将来どういったところで暮らすことになるかは、わからないですから。

 

災害に備える習慣を身に付けておいたら、いつかどこかで誰かの命を支えるために、役に立ってくれるかもしれません。

 

▽ゼリー飲料は、水分補給しながらも、トイレに行きたくなる効果が低いそうです。

 

▽乾電池を入れて使うタイプのラジオ。乾電池とセットで用意しておきたいです。

 

▽ブリキでできた救急箱。アイボリー、グレー、ネイビーと、色も選べておしゃれです。

 

▽見た目がシンプルで、おしゃれな救急箱。

 

▽木製の救急箱。