この間、
「ここまでしてもらうと、何かお返しをしないと、申し訳ないというか、落ち着かないので。」
という方がいたので、
「それなら、これから先に自分の得意なことで、誰かをサポートする機会があったら、喜んで何かをして、お返し、ということにしたらいかがでしょうか。」
「自分たちがしてもらった分、自分もまた誰かの礎(いしずえ)になるような・・・。」
「それでいいと思うんです。」
と話しました。
「ええ~、そうですか。」
少し戸惑っていましたが、納得してもらえました。
このような会話をしていて、ふと昔の記憶を思い出しました。
子供の頃、私がもらった言葉が蘇る
私も子供の頃に同じようなことを言われたことがありました。
相手は確か年配の女性だったと思うのですが・・・、
私が、
「お礼を・・・、」
と話したら、
「お礼なんて。自分がしたくてしたことだから。」
「それなら、あなたがいつか、他の人に同じようにすることで、返してください。」
「私はそれで充分です。」
と、言われました。
いつ、どのようなシチュエーションで、その言葉を聞いたのかは、忘れてしまったのですが、
私は子供の頃、誰かにそのような言葉をもらいました。
通りすがりのような相手だったと思います。
本人に返さず、誰かに返すのでは、お礼にならないのに・・・。
と思った覚えがあります。
ですが、
その時、そのような考え方があるのかと、驚いたのと同時に、
自分の中で、世界が広がっていく感覚がありました。
未来へのプレゼント
その場で感謝をしたり、お礼の何かをしたりすることは大切です。
だけど、
溢れるほどの喜びや感謝は、
自分がこれから歩んでいく道で、社会に、これからの人に、返していってもいいのだと思いました。
未来に先送りしたお礼は、それこそ無限大で、
いつ、誰に返してもいいし、何回返してもいい、未来へのプレゼントとなってくれます。
自分の喜びから生まれる、小さな愛を包む
私はそれほど寛大ではないし、時間は有限だし、生活をしていかなくてはならないので、お返しや見返りを期待することはあります。
必要な時だってあります。
だから、
そういうのをまったく期待しないで、
自分の喜びから生まれる、ささやかな愛からできることなら、いくらでもやらせてもらえばいいと思うのです。
さいごに
自分が受けた恩は、
その場で返せなかったり、返し切れないほど大きなものならば、
これから、歩いていく道のりで、会う人々に、少しずつ返していけたらいいですね。
自分の過去、人から同じような言葉をもらったことがあることを思い出して、
嬉しくなりました。
過去と未来が繋がって、大きく光が広がるような、喜びです。