山田さんの tea time

35歳で結婚。 36歳、39歳、42歳で3人の子供を出産しました。 現在夫と2人の子供と共に暮らしている主婦です。 生活や子育て、妊娠出産、おでかけ、美容について、 実際に生活に取り入れて良かったことを書いていきます。

専業主婦。山田さんのプロフィール

専業主婦。山田さんのプロフィール

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35歳で結婚。

 

子宮腺筋症と子宮内膜症を患い、

医師から「妊娠しにくい」と告げられていたのにもかかわらず、

結婚して半年後に第一子を妊娠。

 

36歳で無事男の子を出産しました。

 

そして年齢的な妊娠の限界を考え、

すぐに2人目の妊活を開始。

 

妊活を始めて2年間、

妊娠の兆候がないので夫婦で病院に行き不妊検査を受けたところ、

夫側にも問題が発覚。

 

「すぐにでも体外受精を勧めるレベル」

 

と医師から言われ、

私は体外受精を希望しましたが、

 

 「そんなことしなくてもできる気がする」

という謎の夫の抵抗に遭い、

断念。

 

悶々としながら半年間の静観となりました。

 

ですが、

39歳で自然に第二子を妊娠。

 

同じく39歳の時に正期産で成熟児を出産しました。

 

ところが、

生まれてすぐの検査で赤ちゃんの上半身と下半身の酸素濃度違うことがわかり、

すぐにNICUのある病院に移送となりました。

 

第二子には先天性心疾患があることが判明。

 

生後2週間で娘は心臓の手術を受けましたが、

手術は大量出血を伴い、

術後の回復は難航しました。

 

娘は小さな身体で術後1ヶ月頑張りましたが、

 

生後43日の日、

私の指をにぎりながら息を引き取りました。

 

娘の瞳は最後の最後まで私を見つめていました。

 

 

 

娘の小さな手が握りしめる、

私の右の人差し指、

そこから力が失われるのを感じながら、

 

娘の私を見つめる瞳がゆっくりと天井を見て、

力を失う瞬間を見ながら、

 

私は娘の命が旅立つ瞬間を見送りました。

 

 

 

娘の遺体をおくるみに包み、

抱っこして病院の裏口から出ました。

 

生まれてこのかたずっと病院で過ごしてきた娘を、

初めて家に連れて帰ることができました。

 

自宅の小さなベビー布団に寝かせて、

動かなくなった小さな身体を見つめていました。

 

美しく無垢な娘の顔をただひたすら見つめていると、

 

そこだけ切り取られたかのような、

異次元の空間に迷い込んだような感覚に包まれました。

 

娘が纏う深くて甘美な闇が、

どうようもない引力で私を呼びます。

 

闇は静寂と安らかな眠りの世界。

 

(ああ、眠りたい)

 

私はそのまま目を瞑りそうになりました。

 

と、

その時、

 

私の中で声がしました。

 

「もう一度産もう」

 

私は娘を見据えながらもう一度繰り返しました。

 

「もう一度産もう」

 

 

 

娘が旅立ってから1ヶ月後、

月のモノが復活しました。

 

そこからが七転八倒の妊活の始まりでした。

 

自分の年齢と妊娠の可能性への不安。

失った娘への思い。

想像妊娠。

小さな赤ちゃんを抱いている人への羨み。

 

本当の意味で前向きになるまで、

越えなくてはならない壁が、

何層もありました。

 

 

 

娘の命日からおよそ1年半後、

私は41歳になっていました。

 

そして、

念願の第三子を妊娠しました。

 

第三子の陽性反応を確認してから二週間後、

第一子と第二子を産んだ時と同じ病院に向かいました。

 

医師からは羊水検査の勧めが何度もありましたが、

羊水検査はしませんでした。

 

妊娠37週と1日。

42歳で第三子を出産。

 

第三子の出産は分娩の進みがとても早く、

陣痛が始まってから1時間47分後の出産でした。

 

あまりに早すぎて病院に間に合わず、

病院への道中での出産となりました。

 

1月の真冬のコンクリートの上に生まれ落ちた次男。

 

それでも救急隊員に抱き上げられてから、

元気な産声をあげました。

 

私と次男はへその緒で繋がれたまま救急車に乗り込み、

病院へと運ばれました。

 

私が胎盤を出したのは10分後病院に着いてから。

それまでがとても長く感じました。

 

夫はあとから自家用車を運転して病院にやってきました。

 

 

 

それから月日が流れ、

 

現在ですが、

 

私は夫と2人の元気な男の子に囲まれて、

4人でのんびり、

時にバタバタしながら、

暮らしています。

 

 

 

 

山田さん

このブログの筆者山田さん。

お茶が大好きなので、

ブログ名が、

『山田さんのtea time』です。

 

名前・・・山田さん

誕生年月・・・1976年10月

星座・・・天秤座

血液型・・・A型

身長・・・162cm

趣味・・・八時間耐久レースの観戦

特技・・・着物を着る

好きな食べ物・・・焼肉、しゃぶしゃぶ、寿司、モンブランケーキ、和菓子

 

 

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山田さんの家族

わが家は核家族で、

 

夫の実家は車で10分の距離。

私の実家は車で3時間半の距離にあります。

 

私と夫、

2人の子供の、

4人で暮らしています。

  

 

私の同居する他人。

 

家のことには協力的。

 

「タバコはやめる」

と言い出してから7年。

未だに喫煙者。

 

名前・・・夫くん

誕生年月・・・1981年1月

星座・・・山羊座

血液型・・・A型

身長・・・168cm

趣味・・・携帯ゲーム、ゴルフ

特技・・・おつかい

好きな食べ物・・・肉、蟹、苺のショートケーキ

 

 

長男

わが家の第一子。

難産で大量出血だった。

 

元気な男の子。

 

名前・・・お兄ちゃん

誕生年月・・・2013年4月

星座・・・牡羊座

血液型・・・A型

趣味・・・工作、虫探し

特技・・・工作

好きな食べ物・・・肉、寿司、アイスクリーム

 

 

長女

わが家の第二子。

天使の女の子。

 

名前・・・天使ちゃん

誕生年月・・・2016年7月

星座・・・獅子座

血液型・・・A型

 

 

次男

わが家の第三子。

屋外出産となった。

 

のんびりムードの男の子

 

名前・・・ちびたん

誕生年月・・・2019年1月

星座・・・山羊座

血液型・・・A型

 

 

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山田さんの生い立ち

地方公務員の父と、

自営業の母の元に1976年長子として誕生。

 

マーチングバンドに力を入れている私立の幼稚園に年中で入園。

3歳年下の妹と親友のように育ちました。

 

 

プチ哲学者な小学生時代

大人しくて自分の意見を人前で発表するのが苦手。

 

スイミング、絵画、剣道、そろばん、学習塾、ガールスカウト、エレクトーン、クラッシックバレエ。

沢山の習い事をしました。

 

中でも年単位で続いたのは、

スイミング、

ガールスカウト、

クラッシックバレエ。

 

それ以外はすぐにやめてしまいました。

 

当時、

「死んだら人はどうなるのか」

「泣いたり笑ったりするこの感情は何のためにあるのか」

「何のために人はより良く生きようとするのか」

登下校中にそんなことをよく考えていました。

 

周りの子には

「また考えごとしてるー!」

と言われ、

目の前で手をひらひらと振られたりしていました。

 

初恋は5年生の時、

体育の授業で班単位のバスケットボールの試合がある時に緊張して憂鬱になっていたところ、

 

「本人が頑張っていれば、それでいいと思うよ」

 

と声をかけてくれた同じ班の男の子がいました。

 

その時、

全てにおいて、

ありのままの自分であることを許された気がして、

とても心が緩みました。

 

 

その後、

その男の子のことが大好きになり、 

彼への気持ちは高校2年生まで続きました。

 

 

戸惑いの中学生時代

合唱部に入ってソプラノを担当していました。

 

父親に

「バカだ」

「頭が悪い」

と言われて育ってきたので、

自分は勉強ができないとずっと信じていたのですが、

 

入学直後の実力テストで上位3分の1位内に入っていたので、

驚きました。

 

それ以降も、

得意科目は一桁の順位に入ったり、

総合順位が上位から6分の1位以内に入ったりして、

ある程度の成績は維持していました。

 

勉強方法は、

学校の授業をしっかり聞いて、

宿題をきちんとやり、

定期テストの前に2〜3時間することでした。

 

中学生になってもやはり多くの人の話題の中心になったり、

人前に立つのは苦手でした。

 

苦手でしたが、

学級の役や、

イベントの責任者、

委員会の委員長などをやる機会に恵まれ、

人前に立ったり意見を言わなければならないことが度々あり、

それが試練でした。

 

当時、

看護師になりたくて、

進路希望は看護科のある高校でしたが、

 

「まずは普通科に進め」

 

という担任の先生の勧めで、

普通科の高校を受験することにしました。

 

 

学校をやめようと思った高校生時代

普通科の高校に進学し、

入学後の初めての試験で衝撃を受けました。

 

誰も試験中に寝ないし、

ひたすらペンを走らせる音がするし、

中学校までの試験中とは随分様子が違いました。

 

入学して早々、

1年生全員講堂に集められ、

大学受験の準備について学年主任の先生から話がありました。

 

入学していきなり受験の話で驚きました。

入る高校を間違えたと思いました。

 

楽しく気楽な高校生ライフが音を立てて崩れていきました。

 

(なんで勉強嫌いなのに高校に入っちゃったんだろう)

(義務教育終わってまでどうして勉強してるんだろう)

そんなことばかりぐるぐる考えるようになり、

 

担任の先生と親に

「学校をやめる」

とまで言いました。

 

その時に担任の先生は、

「わかった」

と言ってくれましたが、 

 

私の親には、

「絶対にやめさせません」

と言っていたらしいです。

 

結局担任の先生のおかげもあって高校をやめませんでしたが、

私の高校生活は完全な後ろ向き状態での出発でした。

 

赤点取っても平気。

 

苦手な数学で0点取った時は、

(まあいいか、数学だし)

と割り切っていました。

 

留年してもいい!

とまでは思いませんでしたが、

 

追試の常連になっていたし、

その状況にすっかり慣れてしまっていました。

 

追試を何度か受けつつ、

なんとか無事に2年生になれました。

 

2年生になってからも、

やはり最後尾から数えた方が早いような順位の成績が続いていました。

 

2学期になった頃、

担任の先生が私に言いました。

 

「なんでお前は勉強しないんだ」

 

そんなこと聞かれたのは初めてだったのでドキッとしましたが、

私は思いつく限りの言い訳を繰り出しました。

 

「やろうと思うと片付けがしたくなる」

「やろうと思うと漫画が読みたくなる」

「やろうと思うと今更間に合わないと思う」

「やろうと思うと眠くなる」

などなど。

忘れてしまいましたが、

もっとイロイロ言っていました。

 

先生はずっと黙って聞いていましたが、

私が話し終えると、

ひとこと言いました。

 

「お前はケジメをつけられないのか」

 

その言葉が、

私にはとても重くのしかかりました。

 

なぜこんなにも響いたのか今でも不思議なのですが、

私にはとても効果的でした。

 

(ケジメをつけてやろうじゃん)

(見てろよ)

 

どう逆立ちしても今まで絶対勉強しなかったのに、

勉強を始めました。

 

試験期間にきちんと計画を立てて毎日該当科目の教科書を開きました。

中でも特に好きだった科目では100点を取ることを目標に勉強をしました。

 

結果、

その試験では、

総合順位が200番以上上がり、

100点を目指した一番好きな科目では学年2位になりました。

1位ではなかったです。

資料問題を落としての91点でした。

 

全ての科目で平均以上の得点を取ることができました。

 

先生が成績表を配る時、

私の順番になったら目を丸くして、

「すごいな・・・」

と呟いていました。

 

その瞬間がとても嬉しかったです。

 

私はその試験以降、

どの教科でも赤点は取らなくなりました。

 

英語の授業の前には予習。

試験期間は朝まで漫画を読むのやめて、

夜と早朝に勉強することにしました。

 

「お前はけじめをつけられないのか」

と言った先生は恩人です。

 

だけど、

周りが本格的に受験勉強を始めた頃、

私の成績はジワジワと下降し始めました。

 

私は周りが受験勉強をする以上の努力はできませんでした。

 

受けた大学はことごとく落ちて、

短大2校のみが受かりました。

 

そのうちの一つを選び進学することにしました。

 

高校生の頃には、

 

中学生の時に、

 

「看護師になりたい」

 

と言っていたことなど忘れていました。

 

だから看護師の資格とはまったく関係のない学校を選び、

進学しました。

 

 

アルバイトばかりしていた短大生時代

短大は単位ギリギリで卒業しました。

 

アルバイトをいくつも掛け持ちし、

遊びの予定も含め、

スケジュールをびっしり詰め込むことに喜びを感じていました。

 

お金を稼ぐことよりも、

いかに無駄なく時間を過ごすかということに夢中だったので、

給料日に通帳を記帳することもなく、

給料を引き出すこともなく、

お金はひたすら貯まっていきました。

 

かといってずっと貯め続けていたわけではなく、

1年生の末に行った海外研修で、

たくさん買い物をして、

ぱっと使ってしまいました。

 

その後も、

お金を貯めては海外に行き、

パッと買い物をしていました。

 

行き先はヨーロッパやハワイ、

香港です。

 

就活は周りの流れに合わせてなんとなくやっていましたが、

一向に決まらず、

さすがに焦り始めた頃、

企業説明会で出会った会社を受けて、

内定をもらいました。

 

内定をもらった会社の時は一次が筆記と集団面接。

二次がディスカッション。

三次が個人面接でした。

 

内定をもらった会社の試験を受けている時は、

(なんとしてでも受かろう)

という意気込みで臨んでいました。

 

 

自由気ままな社会人時代

新卒で就職した会社では4年半勤めました。

不動産関係だったので、

在職中に宅建士の資格や、

保険関係の資格をいくつか取りました。

 

退職してからは、

イベントの派遣アルバイトをしたり、

ゲーム会社に就職したり、

料亭の仲居をしたりで、

気ままに20代後半から30代前半を過ごしていました。

 

その期間に、

二輪の普通免許を取り、

習い事で、

茶道や空手を始めました。

 

茶道は裏千家、

 

空手はフルコン系で、

黒帯までとりました。

 

夫との出会いは、

携帯ゲームを通してでした。

 

ちょうど次に付き合う人とは結婚しようと決めていた時期でした。

 

それまでは、

同級生だったり、

職場恋愛だったり、

習い事を通してだったり、

直接知り合って信頼関係を気づいてからの付き合いだったので、

 

ネットを通して出会うことに戸惑いがありましたが、

結局ネットで知り合った夫と結婚をしました。

 

出会ってから半年後の入籍でした。

 

 

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さいごに

35歳で結婚。

36歳、39歳、42歳で3人の子供を出産した私。

 

現在夫と2人の子供と4人で暮らしています。

 

このブログには

私が実際に生活の中で見つけた、

良かったことを書いていきます。

 

ブログ、

 

『山田さんのtea time』

 

よろしくお願いします。