幼い子供は死を恐れない?
わが家は夫婦と、小1長男、2歳次男の、4人家族です。
だけど実は、長男と次男の間に、1人、女の子がいます。
彼女は生後43日で、あの世への旅路につきました。
その幼い妹の死と、当時3歳の、長男の関わり方。
あと、
私は、母親の産道を通ってくるときの記憶が残っているのですが、
その記憶から、
幼い子供の死に対する感覚は、大人とは違うのではないか?と思ったことを、書きます。
あの世とこの世が半分こ?天使ちゃんと長男
わが家の長男は3歳の時に、妹と死別をしていますが、悲しんではいませんでした。
遺体が家に帰ってきた時に、いつまでも布団に横たわったまま、微動だにしない妹を見て、
「ママ、天使ちゃん、起きない。」
と言って、亡くなった妹の目の前で、赤ちゃんのおもちゃである、ガラガラを一生懸命振っていました。
「天使ちゃんは、お空に還ったんだよ。」
と話すと、
「お空に還ったら、もう起きないの?」
「そうだよ。」
「そっか。」
といった反応でした。
娘が亡くなってからしばらくは、
なんでもない、食事をしている時や、ぼおっとしている時などに、突然、号泣をすることがあった私ですが・・・、
そのたびに長男は、
「ママ、大丈夫だよ。」
と言って、頭をなでてくれました。
何が大丈夫なんだよ。
泣かせてくれ!
と、思っていた私ですが、当時3歳の長男は、いつも淡々とした様子で、
「ママが泣いたら、天使ちゃん、還って来れない。」
「ママ、天使ちゃんに会いたいんでしょ。」
「泣いたらだめ。」
「泣いたら、天使ちゃんに、会えない。」
と言っていました。
何を言っているんだろう・・・。
と思いつつも、
私は長男の不思議な語り口に、いつも聞き入ってしまいました。
そうすると、泣き止んでいます。
「ママ!天使ちゃんが泣いてるの!」
と言って、慌てていた時もありましたし、
「ママ、天使ちゃんが言ってる。」
と言って、私に天使ちゃんの伝言を伝えに来たこともありました。
長男は、あの世とこの世が、半分こなのかな?
だから私にわからないことが分かるし、私に見えないものが見えるのかもしれない。
と、思うようになってから・・・、
「天使ちゃんが来ているの?」
「天使ちゃん、なんて言ってる?」
と、しつこく長男に質問するようになってしまいました。
長男が4歳になる頃、長男は、ぴたりと不思議なことを言わなくなり、
死に対して、大人と同じような反応をするように、なっていました。
これを成長と呼ぶのでしょうか。
きっと、この世に足がついてきたのでしょうね。
3歳までの長男は、
悲しむ私を、可哀そう、と思っているようでしたが、
自分自身が、悲しんでいる様子は、ありませんでした。
でも、ほんの少ししか関わることのできなかった妹のことを、よく話していて、
妹に対して、愛情があるような感じはしました。
幼い子供は、死に対する受け止め方が、違うのかな?
と思いました。
産道を通る時の記憶『この体は諦めよう。』
私には、母親の産道を通る時の記憶があります。
それ以外は、赤ちゃんで、ねんね期の頃の記憶や、
歩き出した後、1歳の頃に見た景色を、ほんの少し覚えているくらいなのですが・・・。
私が母親の産道を通る時の記憶をお話しします。
私の今世で、最も古い記憶ですね。
今思い出せる。
断片的で、ほんの一部の記憶です。
私は母親の産道を通り抜けようとしていましたが、全身を強く締め付けられるし、ぴったりと張り付くように狭くて、
苦しくて、苦しくて、身動きが取れずにいました。
それでもあきらめずに、なんとかしようとあがいていました。
だけどピクリともしなくて、とにかく苦しかったです。
それで思いました。
『もうこの体はダメだ。』
『この体は、諦めよう。』
そう思った瞬間、私はあがくことをやめました。
全身の力を抜いて、魂が抜けるのを待ちました。
が!
死ねませんでした。
『死ねない!』
『そうだ、これが肉体を持つということだった。』
『忘れていた。そうだった。』
『ああ、やってしまった。』
肉体を持ってしまったことへの後悔、いきなり?
・・・というところで、
引っ張られるような感覚で、急に体が動き出しました。
『あ。助かる・・・。』
で、ぱあっと視界が明るくなって、記憶が終わっています。
母親の話によると、先生が器具で、私の頭をつかんで、引っ張り出したそうです。
生まれてきた私は、唇が紫色で、産声をあげませんでした。
1週間、保育器に入った後、容体が安定してから、退院をしました。
私は食欲旺盛だったらしく、その後の検診で、ぷりぷりの元気に成長した私を見て、病院の先生が、
「よくこんなに丈夫に育ててくれて。」
と言ったそうです。
生まれてくるときに、『この体は諦めよう。』と思った、私の話でした。
今も『この体』で生きています。
『この体を諦める。』という感覚が、大人の死に対する感覚とは違うな、と思いました。
さいごに
妹が亡くなってからの、長男の様子と、
私の、母親の産道を通る時の記憶から、
幼い時は、死に対する捉え方が違うのだなあと感じた話でした。
大人になると、死は負であるという感覚が大半を占めるような気がするのですが、みなさんはいかがでしょうか。
生が正であり、死が負である。
本当はどうなのでしょうか。
感じ方は、人それぞれですね。
生きて、人と関わって、大好きな人ができれば、やはり死んで別れるのは寂しいと思います。
もう、今の自分として、関わるのは最期になってしまいますから。
とりあえず、
生かされている今を、もっと丁寧に、生きてみようかな。と思う、今日この頃です。