憎しみを手放す方法
人を憎むというのは、大きな苦しみの一つです。
人を憎むのも、嫌うのも、とても辛いです。
相手を嫌っている位自分が一番苦しんでいるのはなぜでしょう。
心がくすんでいき、あまりに深まると、コントロール不能になって、
どんどん闇のように黒ずんでいく。
私は以前、とても人を憎んだことがあります。
膨らんだ憎しみに振り回されて、苦しくて仕方なくなった時に、憎むことをやめることにしました。
その時のことを書きます。
私が人を憎んだきっかけ
あまり気持ちのいい内容ではないので、閲覧注意です。
早く死なせてやれ
私が二人目に産んだ娘は、生まれながらにして、心臓に負担を抱えていました。
手術を受けなければ、1歳まで持たないと言われているような病気でした。
迷うことなく手術を受けましたが、術後の経過は思わしくありませんでした。
娘に明日はあるのか、未来に続く道はあるのか、細い希望の糸を手繰り寄せ、なんとか日々を過ごしているような状態でした。
そのような中、娘の容態を聞きつけた、とある親族が、夫婦で家にやってきました。
そして言いました。
「今の状態から、たとえ元気になったとしても、何らかの障害が残るのではないか?」
「障害が残ったとして、お前たちに頼りにされても困る。」
「自分たちのことばかり考えて、子供を生き永らえさせていないで、早く死なせてやれ。」
「お前たちには思いやりというものがないのか。」
娘は、命の綱渡りのような状態でした。
ですが、生後1ヶ月の小さな体で、全力で生きていました。
私が集中治療室にお見舞いに行くと、娘が起きている時は、いつも私の目を見つめてくれました。
娘の瞳は、いつも私に語り掛けて、そして私もそれに応えました。
いつも目で語り合っていました。
だから、
私は知っていました。
娘は生きようとしていると。
生き抜こうとしていると。
親族の話の内容に、とてもがっかりはしましたが、
「早く死なせてやれ。」
という言葉は聞くに堪えず、聞き流すことにしました。
もっと早く死ねばよかった
娘は、全力で人生を全うし、生後43日であの世に還りました。
私たちは、娘を連れて自宅に帰ってきました。
小さな布団に保冷剤を並べ、娘を寝かせました。
たくさんの知り合いが娘の顔を見に来てくれました。
その中に、例の親族もいました。
彼は、娘の眠る布団を挟み、私の正面に座りました。
なんだか満足げに何かを話していましたが、何を話していたのかは覚えていません。
だけど最後の言葉はよく覚えています。
彼は、笑みをたたえ、娘の遺体を見ながら言いました。
「まあ、俺から言わせてもらえば、もっと早く死ぬべきだったと思うけどな。」
この時は、娘を失ったことがあまりに苦しすぎて、ただ放心して聞いていましたが、
彼の得意げな言葉と、表情は、私の脳裏に焼き付きました。
後々この言葉が私を苦しめます。
精神的に少し立ち直ってきたら、人を憎む余裕が生まれてきましたが、それからが大変でした。
人を憎むということ
やっと放心状態から解放され始めたら、今度は、「許せない。」という感情で苦しむこととなりました。
憎しみは、自らを焦がす
苦しさや、悔しさを反芻したら、忘れられなくなってしまいました。
心がねじれて引き伸ばされるような痛み。
ねじれて切れそうなところまできて、火がつきました。
痛みを燃料にした炎は、なかなか消えてはくれませんでした。
憎しみは、際限なく増幅する
私の憎しみは、地球上で苦しんでいる人たち全てのところを駆け巡ってきたのではないのかというくらい増幅しました。
どうしてここまで憎いのか、わからない!
怒りにまかせて、狂気に走るイメージが、繰り返し頭に浮かぶようになりました。
憎しみは、さらなる苦しみをもたらす
ただでさえ苦しかったのに、人を憎むという念は、さらに私を苦しめました。
憎しみは、私の善なる部分も、すべて飲み込んでしまいそうでした。
憎しみに身をゆだねても、まったく楽にはなれず、苦しくなる一方でした。
私はこのまま、自分の人生を、人を憎むことで終わらせてしまうのかと、絶望しました。
憎しみを手放す方法
消えることも、忘れることもなかった憎しみを、どのようにして、手放すというのでしょうか。
私がたどった、憎しみを手放すまでの過程を、書きます。
『違い』を、受け入れる
- 持って生まれた素材。
- 生まれた環境。
- 生きてきた環境。
- 何を経験してきたか。
- どのような感動を集めてきたのか。
考え方や価値観が『違う』ということを、他人が変えることはできません。
変えることができないことに対して怒りを感じても、解決することはありません。
憎しみで、さらに苦しむ人生を受け入れない
憎んでいる状態というのは、その相手のことを、四六時中考えている。
ということです。
嫌なことで心を一色に染めるには、人生は短すぎるし、
憎しみに染まり生きていくために、まっさらな未来を明け渡したくはありません。
苦しい経験は人を憎むためにあったのではない
亡くなった娘が、憎しみに染まった私を見たら、どう思うでしょうか?
これ以上、自分を可哀想な人にするのは、やめよう!
そう思いました。
当時3歳の息子。
夫。
天に召された娘。
私をこの世に送り出してくれた何か。
今日まで生きて生きた自分自身。
愛する何かのために生きる。憎むことはやめる。と、決めました。
憎むことをやめる
心に決めるだけで良かったです。
体に絡まった糸のすべてが一気に緩むかのように、呼吸が楽になりました。
あれは何だったのかというくらい、楽になりました。
さいごに
憎しみを手放した時に、楽になれるのは、誰よりも自分自身でした。
前に進んでみてください。
憎しみよりも自分を満たす、大切な何かを、きっと見つけられます。