今回は少し不思議な話をします。
私は霊感とかは強くないと思いますが、見えるものだけが全てだとは思っていないし、不思議なことを全否定したりはしません。
直感は鋭いところもあります。
お問い合わせなどで企業に電話した時に、電話口に出た人の声を聞いてすぐに、
話がうまくまとまるか、嫌な思いをするか、はっきりと分かったりします。
「あ、今回はダメだ。」
「何とか言って、電話切った方がいいかな~。」
とか、
「良かった!話がスムーズにいくわ。」
とか。
この感覚は本当に当たる。
だから、直感とかは、素直に頼った方がいいと、思っています。
それでも、
頭で考えすぎて、失敗してしまうことはあるのですが・・・。
私は耳はいいのか?
不思議な声を聞いたことは、今までにも何度かあったのですが、
あきらかにその場にいないはずの人の姿を、はっきりと見たことはなかったのです。
本当に見えるものなのか・・・?
見える感覚って、どのようなものなのかな?
と、思っていたのですが、
最近、はっきりと、いるはずのない人の姿を見て驚いたことがありました。
あまりにも自然に表れて、
名前を呼んで、話しかけられました。
見えた時の話と、そのことで思ったことを書きます。
怖い話ではないと思います。
見て、聞いた時の話
今まで本当にお世話になった方が、亡くなりました。
その方が息を引き取った一報を受け取り、すぐに会いに行きました。
遺体はベッドに横たわり、顔には布がかけられていました。
広くはない場所だったので、私は遠巻きに見ていて、
最初は夫が近くに行き、その方の体に向かって話しかけていました。
夫がその場を離れ、次に私が傍に行きました。
その時でした。
その方が、むくっと体を起こしました。
もちろん、本当の肉体は、ベッドに横たわったままでした。
体を乗り出すようにして、私の方を向きました。
その姿は、亡くなった時の姿ではなくて、
私が知っている一番元気な頃のお姿でした。
いつもしていた髪形で・・・。
それで、
「○○ちゃん、ーーーーー。」
「ーーーーー。」
私の名前を呼んで、ある言葉を繰り返して言いました。
その時の表情は、生前、何度か見たことのある表情。
それで私は号泣して、この後しばらく涙が止まらなくなってしまったのですが・・・。
周りの人には、私があまりに泣くから、驚かれてしまったかもしれません。
だけどその時思ったのが、
見える時は、めちゃくちゃはっきり見えるものなのだな。
ということ。
声も、その人そのもので、
話し方をまねできるくらい、はっきりと、
相手の感情がわかるくらい、はっきりと、
聞こえたのです。
普段見えない私が、どうして見えたのか考えた
生きている人間の方が、断然強い。
ということを聞いたことがあります。
生きている人間が飛ばした意志の方が強くて、影響力も大きいそうです。
好きも嫌いも、あまり強く思うと、相手に届いたりします。
飛ばされた方は、相手のことを考えたくなくても、なぜかしょっちゅう思い出してしまったり、考えたりしてしまうことも。
そのくらい強い、人の意思だから、
亡くなったばかりの方の意思も、見えやすいのかなと思いました。
相手の伝えたいという強い意志
自分自身の感知する能力以外に、相手の届けたいという意思も必要だと思いました。
届けたい意志といえば・・・、
高校生の時に、同級生から聞いた話を思い出したので、そのことを書きます。
相手は動物です。
高校生の時、同級生から聞いた隣の家の犬の話
彼が小学生の時の話です。
夜中にふと目が覚めました。
普段は、
一度眠ると、朝まで起きないタイプで、自分でも不思議でした。
せっかく目が覚めたので、
それほど行きたかったわけではなかったけれど、
トイレに行っておくことにしました。
自分の個室を出て廊下に出ると、
廊下に隣の家の犬がいたそうです。
静かにたたずんで、彼のことをじっと見ていました。
その時は、何故隣の家の犬がこんなところに、とか、
そういう細かいことまで頭が回らなくて、
ただ、
「○○だ。(隣の家の犬の名前)」
と、思ったそうです。
トイレに行ってから戻ってみると、
隣の家の犬は、すでに廊下にはいませんでした。
彼は、眠かったので、深いことは考えず、そのまま部屋に戻り、
朝までぐっすりと眠りました。
廊下で見た、隣の家の犬が、
夜中に息を引き取っていたことを知ったのは、
朝を迎えてからでした。
朝、学校に聞く時に、
犬の飼い主の、隣の家の方が、教えてくれたそうです。
その時に、漠然と、
「最後に、会いに来てくれたんだな。」
と思ったそうです。
隣の家のワンちゃんと、とても仲良しだったんですって。
さいごに
見える時は、すごくはっきりと見えるし、声もまた、はっきりと聞こえるものだなと、驚いた話でした。
本物と勘違いしてもおかしくないくらい、リアルでしたよ。
リアルではない場合もありそうですが、私はその場合を知らないです。
普段と違うことが起きた時は、なおさらそこに意味があるのでしょうね。
あらためてその時のことを思い出して、私にできることは何かな、と考えました。
今できることを一つ一つ積み上げて、小さな思いやりを少しずつ重ねていきたいと思いました。
きっとその先に望んだ未来があると・・・。
思い通りにいかず、苦しいことが続く時はありますが、
自分自身と向き合い、新たな自分と出会うための必要な儀式だと思いたいです。
目には見えなくても、応援をしてくれる人や、そばにいてくれる人はいるのでは。
きっと一人ではありませんよ。