子供に対してイライラして、つい怒り過ぎちゃうことってありませんか?
私はありますよ(/ω\)。
【突然ですが占ってもいいですか?】というテレビ番組で、占い師さんが、8歳の男の子に言っていました。
「今度お母さんが怒ったらね、」
「“そこに愛はあるんでしょうか?”」
「それを言ったらね、お母さん。ピタッと止まる。」
“そこに愛はあるのでしょうか?”
なるほど!
私も使ってみようと思いました!
ですが、
私は子供の立場ではなく、母親の立場なので、
子供に対して、
『おお~!イライラしてるぅ~!』
と感じた時に、
自分で自分に問いかけてみることにしました!
“そこに愛はあるのでしょうか?”
自分で自分に問いかけて気がついたこと
一日に何回も自分に問いかけてしまいました!
“そこに愛はあるのでしょうか?”
何回イライラしているんだって、話です。
その中で気がついたことがあります。
イライラしている時に、
“愛”は、ありません!
イライラしている時って、自分の感情の発散のはけ口を探しています。
怒る理由を相手に押し付けて、感情のままに振舞ってしまいがちです。
子供がいると、どうしてもその矛先が子供に向かいやすいです。
私がイライラした時と、その時に気がついたことを書きます。
料理を邪魔されてイライラする母
時間が押している中、夕食の支度をしている時の事です。
7歳の長男がニューブロックを持って、キッチンにやってきました。
「ママ、これ見て。」
「ママ、ここをこうするとね!」
私が料理をしている傍ら、
キッチン台の上でニューブロックを広げ始めました。
するとお兄ちゃんの後を追って、2歳の次男も、やってきました。
次男は、キッチンの引き出しをあちこち開けて、中の物を出しては投げる、遊びを始めました。
『ああ~!もう~!』
母のイライラのボルテージが急上昇。
「ご飯を作っているところでおもちゃを広げないで!」
「やめてよ!」
わっ!と、怒りそうになった時に、
自分に問いかけてみました。
“そこに愛はあるのでしょうか?”
すると、
急激に膨らんだ、感情的でイライラとした衝動が、しゅるしゅると、小さく縮んでいきました。
私は、
「ご飯を作っているところでおもちゃを広げないで!」
「やめてよ!」
という言葉を飲み込み、
別の言葉で、長男に話しかけました。
「ほんとだ。かっこいいね。」
「でも今ご飯を作っているところだから、ここでおもちゃを広げるのはやめてね。」
すると、長男は、
「でしょ?かっこいいの。」
「わかったよ。」
と言い、おもちゃを持って、少し離れたところに移動しました。
子供に対する言い方を変えてみた感想
頭ごなしに怒ったとしても、子供をキッチンから離すことはできたと思います。
その場合は、子供は落ち込んでいたかもしれないし、泣いていたかもしれません。
それに、何がいけなかったのか、わかってもらう以前に、
「怒られた。」「ママが怖い。」という印象の方が強く残りそうですよね。
そうなると、
料理をしている時に、キッチンでおもちゃを広げたらいけない。
という、一番伝えたかったメッセージよりも、
怒られて、怖かったから、その場を離れた。
という、根本的には何も解決していない状況に子供は陥ってしまいます。
子供の中に残るものが、180度変わってしまいます。
少ない自分の時間を邪魔されてイライラする母
2歳の次男がお昼寝をしている時間は、私の憩いの時間です♪
ブログの記事を書いたり、他のブログを訪問して、記事を読んだりしています。
長男が小学校から帰ってきました。
すると、
私の足元で宿題を広げ始め、宿題をしながら、あれこれ話しかけてきます。
その時は、新しい記事を書いている途中だったのですが、
あまりにも話しかけられるものだから、だんだんと集中ができなくなってきました。
「うん。」「うん。」と話を聞きながら、たまに文章を打ち込んでいたら、
長男が膝の上に座ってきて、目の前でタブレットを掲げました。
タブレットでパソコンの画面が見えなくなるし、
長男がタブレットを、キーボードの上に軽く乗せたものだから、カチカチカチっと音がして、パソコンの画面が切り替わってしまいました。
母のイライラのボルテージは、どかん!と、上昇。
『次男が起きるまでにもう少し記事を書いておきたかったのに~!』
「ちょっと!やめてよ!」
と、
強く言ってしまいそうになった瞬間、
“そこに愛はあるのでしょうか?”
自分で自分に問いかけてみました。
ほんとにこれ、怒りを収めるおまじないの言葉のようです。
わっと広がったイライラの炎が、
しゅるしゅると縮んで、小さな灯のような炎になりました。
「お兄ちゃん。あともう少しだから、もうちょっと待ってて。」
「ここにタブレットのせちゃだめだよ。」
「そうそう、これならパソコンの画面が見えるよ。」
長男はタブレットを自分の膝の上に置き、体の位置を変えて、パソコンの画面を見やすくしてくれました。
キーボードも打ちやすくなりました。
子供に対する言い方を変えてみた感想
瞬発的な感情の爆発に任せて言葉を発すると、相手を傷つけるし、怖がらせてしまいます。
怒った本人も、
『そこまで怒らなくてもいいのに。』
『言い過ぎてしまった。』
と自己嫌悪に陥ることだってあります。
“そこに愛はあるのでしょうか?”の問いかけは、
相手のことを守ってくれますし、
自分自身のことも守ってくれます。
些細なことでイライラする自分
子供に対して感情的に怒りそうになったら、自分に問いかけようと思った言葉。
“そこに愛はあるのでしょうか?”
この言葉の出番。
使い始めたら、意外と、・・・多かったです!
いや、意外でもないか(~_~;)。
イライラとして言葉や行動に移す時は、自分のことで頭がいっぱいで、相手のことは、ほとんど考えていない状態です。
時間に余裕がないと、特にイライラしがちな私・・・。
自分のキャパとよく相談をして、もっと時間と上手く付き合えるようになりたいです。
「時間が無い!」
と一日中言っていても、仲良くは、なれないのでしょうから。
怒るよりも、伝える
怒っていると、よけいに感情のコントロールが効きにくくなってきませんか?
どんどんヒートアップしていって・・・。
しまいには、
『どうしてこんな話になっているんだっけ?』というくらいおかしな方向に話が進んでしまったりすることだって、あります。
自分の望む結果に収めたいのなら、怒りを相手に伝えるよりも、どうしてほしいのか、どうしたいのかを冷静に伝える方がいいですね。
怒りを鎮火させる、魔法の言葉ですね。
“そこに愛はあるのでしょうか?”
子供に対してだけではなく、様々な関係性の中でも使えそうです。
さいごに
自分で感情のコントロールができないのを、人に当たって発散してはいけないですよね・・・。
だけど、
イライラして怒ると、結果そういうことになってしまいます。
“そこに愛はあるのでしょうか?”
嫌だな。と思ったら、
怒るよりも、
きちんと相手に分かるように説明をして、お互いにとっていい結果を導き出せるように振舞いたいです。
子供にも、そうなってもらいたいし。
まずは自分が実践ですね。