山田さんの tea time

大切なものを大切にする シンプルライフをめざしたい♪

 本サイトにはプロモーションが含まれています。

『亡くなっても大切な命』というテレビ番組を見て。私の場合

毎年10月9日~10月15日は流産や死産などで亡くなった赤ちゃんと家族の為の国際的な啓発週間だそうです。

私は知らなかったのですが、

『クローズアップ現代』の『亡くなっても大切な命』というテレビ番組で初めて知りました。

録画して後から見ようと思っていたのですが、見たら辛くなるかなと思い、なかなか見ることができないまま時が過ぎ・・・。

15日ほど過ぎたある日、

日中洗濯物を畳んでいたら、急に見てみようと思えてきたので、見てみました。

 

番組は、

流産や死産、生後間もない内に子供を亡くしてしまった親の苦しみや、日常生活を取り戻す大変さ。

周囲の理解。

また、周囲の人たちから見た子供を亡くしてしまった親との関わり方について話がされていたかと思います。

 

録画を見た時にはすでに啓発週間は終わっていたのですが、私も生後43日で娘を亡くしているので、その時の経験について書いてみようと思いました。

生後43日。娘との別れ

娘は心臓に疾患を持って生まれてきました。

担当医師からは、

「それほど難しい手術ではない。」

と、言われていたのですが、手術が上手くいかず、術後1ヶ月で亡くなりました。

人工心肺装置を外す判断をされたのです。

娘は命の灯火が消える瞬間まで私の目を見つめていました。

力いっぱい私の指を握りしめていました。

今思えば、こうしてしっかりと送り出すことができた私は、幸せだったのだろうと思います。

 

病院から子供を抱いて自宅に帰りました。

子供は出産した病院から、大きい病院に救急車で運ばれ、生まれてからずっと病院で過ごしていたので、初めての帰宅でした。

書けない死亡届

死亡届やら火葬に関する書類やら、いろいろ書かなくてはならない書類があったのですが、私は何もできませんでした。

娘の死亡届にサインをするなんてとてもできない。

娘の死を、受け入れられていなかったのだと思います。

葬儀の手配と合わせて、すべて夫がしていました。

赤ちゃんが頑張って全力で生きたことを知ってほしい

お通夜を迎えるまで娘は家の布団で眠っていました。

私は自分の知人友人ママ友に連絡をして、娘に会いに来てほしいとお願いをしました。

みんな会いに来てくれました。

 

私は、会いに来てくれたみんなに、娘が病気と闘ってとても強かったこと、とても立派に生きたこと、とても可愛らしかったことについて話しをしました。

みんな真剣に話を聞いてくれました。

 

娘は確かに生きていた、ということを、みんなに知ってもらいたかったのです。

周りの人たちも、自分に子供がいたりして、子供の死を目の当たりにするのは辛かっただろうと思いましたが、会いに来てくれたことに、とても感謝をしています。

様々な考え方。辛らつな言葉

中には、

「赤ちゃんだから自分の意志はない。」

「早く死なせてやればよかったのに、親のわがままで生き永らえさせて。」

「どんな障害が出るかわからない。これで良かった。」

と言ってきた親族がいました。

 

一時は憎しみに身を焦がしましたが、今は憎しみ0です。

いろいろな考え方をする人がいるな~。

と、いう程度です。

 

その人にとっては当たり前のことだから、話すのでしょうね。

 

・・・ただ、

苦しくて心が限りなく弱っている時に、あまりに温度差が大きいことを言われてしまうと、深く深く心に刺さります。

簡単に抜けないくらいに深く、溶かすには時間がかかります。

周りの人の言葉。苦しんでいる人に、どう声をかけるのが正解なのかわからない

深く傷ついている人や落ち込んでいる人に言葉を届けるのが難しい時は、ただ黙ってそばにいるだけでもいいのかなと思います。

 

励ましの言葉も、関係のない話ばかりする人も、ただそばにいてくれるだけの人も、

その人が、私と娘と私たち家族のことを思ってそうしてくれているのだなということがわかれば、心に届いていました。

出産祝いを返金する

娘は生まれていたので、周囲の人から出産祝いをいただいていました。

でも亡くなってしまった。

出産祝い、

そう、生まれているのだから、赤ちゃんの誕生を祝ってもらったっていいのでしょう。

だけど、その時の私は、出産祝いを返金することを選びました。

 

みなさんに出産祝いを返すのは、むなしかったです。

暗くて、心が動かなくて、無、でした。

49日の壁

私は自分がタフで、たくましい方だと思っていました。

だけど、娘の死は、ダメでした。

 

何をどう考えても、自分が立ち直る方法が見つからない。

立ち直るビジョンも見えない。

 

この世が別のものになってしまったかのように、息をするのも苦しい。

 

苦しいばかりで、苦しい以外、何も感じない。

 

自分はいつまで生きるのか、死んだら会えるのか、そんなことを繰り返し考えてしまう。

 

喜怒哀楽が抜け落ち、ただ苦しい、そのことしか感じられなくなっていた時、近所の人が、

49日を過ぎたら、少し楽になる。

と、話してくれました。

その人は数か月前に旦那さんを亡くしていました。

そんなまさかと思いましたが、

49日を過ぎたら本当に少し苦しみが楽になりました。

 

近所の人も、他の人から同じことを言われて、私のように、49日で違いを感じたそうです。

どうしてなのかはわかりませんが・・・。

娘がこの世に存在した証人

葬儀が終わり、少し落ち着いた頃、家を出ることが増えてきました。

 

私のお腹が大きかった頃を知っている人に会うと、

「赤ちゃんは?」

と聞いてきます。

出産と赤ちゃんの健やかな成長を疑っていないから、嬉しそうな顔で話しかけられます。

 

娘が亡くなったことを話すのは気が引けましたが、娘がこの世に存在したこと、

短い時間だけど一生懸命生きたことをあやふやにはしたくないと思いました。

 

娘が生きるために闘ったことと、とても輝いて亡くなっていったことについて話をしました。

 

亡くなったことを知ると、

「聞いてごめんなさい。」

と言われることもありましたが、

私は、

「聞いてくれてありがとう。」

と言いました。

 

私の娘がどのように生きたのか、話しができるのは幸せでした。

少しでも多くの人に、娘の命がこの世に存在したことを伝えたいと思いました。

人の楽しい歌声やダンスが耳から遠のく。体が動かない

私には上の子供がいました。

まだ未就学児です。

娘を亡くして落ち込んでいても、私は長男の親でもあります。

 

少し苦しみが落ち着いたと思い、

長男を連れて子供支援センターに行きました。

 

手遊びや歌やダンスがあります。

みんなで円になっていつものように歌って踊ります。

楽しそうな声が響きます。

楽しそうであればあるほど、私がいる位置とはかけ離れていくのを感じました。

私は楽しくない。

歌っても、踊っても、全然楽しくない。

むしろ自分の心との距離を感じて、ショックを受けました。

歌いたくないし、踊りたくない。

何も面白くない。

私は少しも面白くない。

 

私は歌うのも、踊るのもやめました。

 

それからしばらく、支援センターには行かなくなりました。

 

私はまだ苦しい。

苦しいのに、無理していく必要はないと思いました。

記憶ができない。メモしたことも忘れてしまう

私や子供のことを気にして、連絡をしてくれる人がいます。

会う約束をします。

でも忘れてしまいました。

直前にラインをくれる場合はまだいい。

私の家に遊びに来てくれる約束ならまだいい。

だけど、外で会う約束は、どうにもなりませんでした。

 

最初はうっかりしているのかと思いましたが、異常なほど、記憶をしておくことができなくなっていることに気がつきました。

メモしておけばいいと、メモをしますが、メモしたことも忘れてしまいます。

メモを見ることも忘れてしまいます。

 

2回ほど約束を忘れて、人と約束をすることをやめました。

会う約束をしなければ、約束を忘れてしまうこともありませんから。

小さな子供連れの家族を見るのが辛い

家族で買い物に行った時に、エレベーターで、小さな兄弟がいる家族と一緒になりました。

私だって、本当なら今頃赤ちゃんと長男と一緒にエレベーターに乗っているのに、どうしてうちにはいないんだろう。

と、苦しくなりました。

娘と同じくらいの子供を連れている家族を見ると辛くなりました。

どうして、

どうしてうちは、

どうしてうちなのか。

羨ましい。

苦しい。

辛い。

なんで。

このような気持ちは、いつまで続くのだろうと、苦しくなりました。

子供との出会いを私の不幸にしない

子供を失って辛い。

会えなくて辛い。

寂しい。

悲しい。

 

・・・だけど、

 

会えて嬉しい。

愛せて嬉しい。

心から愛してる。

一生忘れない。

忘れようとしても忘れられない。

 

私がおばあちゃんになって死ぬ時が来たら、きっと思い出す。

亡くなった娘のことを思い出す。

とても輝いていた娘のことを。

あんな素晴らしい出会いを、不幸にするわけにはいかない。

娘との出会いを、悲しかった出来事にはしたくない。

私は娘と出会えて幸せ。

 

もう少し一緒に生きたかったけれど、この素晴らしい出会いを、私が悲しい出来事にするわけにはいかない。

 

娘に、私を不幸にしたと思ってほしくない。

 

私はあなたと出会えて幸せ。

幸せだったよ。

私は娘との出会いを、あたたかくて心がふわっと軽くなるような、そういうものにしたいと思いました。

いつかまた会おう

何度も、

もう大丈夫。

というのを繰り返しながら、

本当に大丈夫になっていきました。

 

お通夜の前に、おばあちゃんが会いに来てくれて、

「早く諦めな。」

と言いました。

 

諦めるという言葉の意味が分からなくて、意味が分かったのは、

本当に諦められた時でした。

 

あの時こうしていれば、この時こうしていれば、そんな風に考えている間は諦めていませんでした。

 

ずっと自分が大変だと思っていましたが、思えば、短く太い人生を生きた娘の方が大変だったのかもしれません。

 

あの世に行ったら、何をするのでしょうね。

死んでからも忙しかったりして。

 

私が娘を思い、泣いているのを見たら、娘も自分の道に旅立ち難くなってしまうのかもしれません。

親離れ、子離れが早まったのですね。

少し早すぎたような気もしますが。

 

愛している気持ちは変わらない。

手離したって変わらない。

離れたって変わらない。

 

もう先に進んでね。

 

いつかまた会おう。

 

号泣して、そう思ったら、なんだかすっきりしました。

愛してる。

またどこかで会おう。

さいごに

『クローズアップ現代』の『亡くなっても大切な命』というテレビ番組で、

毎年10月9日~10月15日は流産や死産などで亡くなった赤ちゃんと家族の為の国際的な啓発週間だということを知りました。

私の場合、生後43日で娘と別れているので、流産や死産ではありませんが、自分の経験を通して、死別してから考えていたこと、感じていたこと、立ち直るまでのことを書きたいなと思いました。

 

娘を亡くしてからしばらくの間、人から

「なんて声をかけたらいいのか。」

「どんな言葉が正解なのか。」

「逆に傷つけてしまったらどうしようかと思うと何を言ったらいいのか。」

と、言われることが多かったのですが、

私の場合は、相手が私のためを思って言ってくれていると感じる言葉なら、どのような言葉になっていても、ありがたく、嬉しく感じました。

 

元気にしています。

 

今まさに暗いトンネルの中だったとしても、いつか暗闇に光が差し込みますように。

どのような時に感謝をしている?子供に聞いたらピュアな返答に心が洗われました

『美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室』、というテレビ番組の録画を見ていた時に、

美輪明宏さんが相談者に話していた言葉です。

感謝ですよね

あれも感謝

これも感謝

感謝だらけ

 

隣で宿題をしていた長男に、尋ねてみました。

お兄ちゃんは、どんな時に感謝をしたくなる?

おれ?おれは、いつもだよ。

 

いつもって、どういう・・・。

あのな、神様がな、生きていいよって・・・、だから、生きてるでしょ。

 

生きてるだけで、嬉しいの。

それで、いつも感謝してる・・・。そういうこと?

そ。

 

そうかあ~、

と、心が洗われる気分でした。

 

私の場合、

子供たちと一緒に暮らせて嬉しいな。

とか、

のどかな時間を過ごせて幸せだな。

とか、

感謝って、そのような感じです。

 

生きてるだけで、嬉しくて感謝とかは・・・、正直、思ったことがないです。

心の中で繰り返してみたら、気持ちが緩み、いいものだな、と感じました。

 

みなさんはどのような時に感謝をしたくなりますか。

 

あわせて読みたい 壱

幸せになると信じること

 

 

良かったと思える日常を積み重ねる。最後の瞬間を大切に

最後の瞬間って、生きている間に何度も訪れるのですが、これが最後と思って迎える最後は、意外と少ないような気がします。

いつの間にか大きくなった子供。

毎日のように抱っこしていたのに、最後に抱っこして散歩したのはいつだったかな。

仲良かった友達と、いつの間にか連絡が途絶えてしまって、最後に笑顔を見たのはいつだったかな。

・・・なんとなく訪れた最後。

 

あがらえない、最後のお別れもあります。

 

最後になるとわかっている時の、別れの瞬間。

振り返ると、あれが最後になるとは思っていなかった、別れの瞬間。

 

思い出は、心の中で力を与え続けます

様々な最後の形と、私なりの、最後との向き合い方について書きました。

良かったなと思える最後を、少しでも多く積み重ねていけたらな、と思います。

 

 

何気ない日常の中にある、小さな幸せ

何気ない日常は、何気なく過ぎていくけれど・・・、

 

振り返った時に、

幸せで胸が切なくなるような、素晴らしい瞬間は、

私の場合、何気ない日常の中にあったりします。

何気ない幸せ
  • 母が運転する車に乗った。今よりも若い、母の記憶。
  • 長男が、赤ちゃんだった頃、抱っこをして散歩した記憶。

母が運転する車に乗った。今よりも若い、母の記憶

私がふと思うのは、実家の母が運転する車に乗ったのはいつが最後だったかな、ということ。

現在実家の母は、自由に動かなくなった指があることもあり、車の免許を返納し、自動車の運転をしなくなってしまいました。

母のひょろひょろとした自転車の運転を見たのも、いつが最後だったかな。

それぞれの自転車に乗り、私はいつも母の後ろを走りました。

母は自転車に乗るのがあまり上手ではなくて、心配だから見守るために、私は後ろを走っていました。

だから私の記憶の映像は母の心許無い自転車をこぐ後ろ姿です。

 

思い出そうと遡っていく時間の中で、私は少し若返っています。

記憶の中の母も若くなっています。

 

忘れるくらい前のことだから、時間を特定することはできないのですが・・・、

愛おしくて、幸せな記憶です。

長男が、赤ちゃんだった頃、抱っこをして散歩した記憶

現在9歳の長男は、私のあごの辺りまで背が伸びました。

今では長男を持ち上げようしようとしても、子供の頃のように軽々というわけにはいきません。

 

ふと、長男を抱っこしながら散歩をしたのは、いつだったかなと思いました。

 

抱っこ紐で抱っこをすると、体が密着するのでとても暑いです。

 

暑いけど、あたたかい。

ぬくもりが愛おしい。

 

長男は成長して体が大きくなり、自分の足で歩いて、自分の足で走って、いつの間にか抱っこ紐は使わなくなってしまいました。

 

お散歩が大好きな長男は、ぐずっている時に抱っこ紐を見せると、ぴたりと泣き止んだものでした。

もちろん、その後、ちゃんとお散歩にも行きました。

 

赤ちゃんだった長男の、密度の少ないふわふわとした髪の毛を鼻先に感じながら、一緒に散歩をしたのは、幸せなひとときでした。

 

 

最後になるとわかっている時の、別れの瞬間

最後の瞬間の中には、最後だとわかっていて迎える、最後もあります。

分かっている最後
  • 遠くに引っ越すことが決まっていて、距離ができたらもう会うことがないだろうという時。
  • 命が旅立つ時。

これが最後だと分かっていて別れる時、

相手の表情や、自分の感情も記憶に残っていて、

記憶を呼び起こすと、胸がギュッとなるような、感情も蘇ります。

 

とてもリアルで、あたたかくて、せつなくて。

共に過ごした時間に感謝をしたくなるような、瞬間です。

遠くに引っ越すから、もう会うことはないだろう

私は東京を離れる前に、職場の後輩と見た、真っ赤な夕焼けが目に焼き付いています。

後輩と会った最後の日の前日、

後輩の美術工房に行って、絵を描いたりして遊び、夜はバーベキューをしてそのまま工房に泊まりました。

 

後輩は私と出会った職場以外に、高校で美術の非常勤講師をしていて、空間芸術の芸術家でもありました。

彼女の工房は広くて自由で、とても楽しい空間でした。

 

工房の帰り、

後輩と一緒にバスを降りて少し歩いたら、左側に開けた景色がありました。

 

これほど見事な赤を見たことがないというくらい、鮮やかな赤のグラデーションが広がっていて・・・、

お別れのせつなさと感謝が、溢れるように込み上げました。

 

2人でしばらくの間、夕日を眺めていました。

この景色を、忘れることはないだろう、と思いました。

 

今でも振り返れば、感情を焼き付けた写真のように、夕焼けの赤とせつなさが交錯した景色が蘇ります。

今生の別れ

私は娘と別れる時、信じたくなかったけれど、今が最後かもしれないと、思っていました。

最後かもしれないと思っていたからこそ、できたことがありました。

 

私の指を握る娘の手を力を感じながら、ずっと見つめ合っていました。

 

「愛してる。生まれてきてくれてありがとう。」

「会えて幸せだった。」

と伝えました。

 

娘の手から力が抜けて、眼球がぐらっと揺れて、目がうつろになる瞬間まで、

何度も繰り返し繰り返し、愛してる、ありがとう、と伝え続けました。

 

本当は、別れが寂しくて寂しくて仕方なかったけれど、

本当は逝ってほしくなくて、待って、逝かないで!と言いたかったけれど、

 

娘に、ママを悲しませたと思ってほしくなかったから。

自分が生まれて、自分が旅立つことで、ママを悲しませることになったと思ってほしくなかったから。

 

会えて幸せだったと伝えました。

ママは不幸になんかなっていない。

あなたは私を幸せにしてくれた人だよと。

 

そういう時間を与えられたことに、感謝をしています。

最後になるとは思っていなかった、別れの瞬間

時には、まさかあれが最後だったなんて、という別れもあります。

 

大切な誰かと、連絡が取れなくなった時かもしれません。

大切な誰かが、思いがけず、旅立った時かもしれません。

ひょっとしたら、自分が突然、この世を去った時かもしれません。

 

近所に40代の夫婦がいて、旦那さんが職場の事故で亡くなりました。

 

奥さんが言っていました。

 

「病院に駆けつけたら、意識が無かった。」

「一度も意識が回復しないまま、逝ってしまった。」

 

「いつものように、いってらっしゃい、いってきます、って言って出ていった。」

 

「まさかそれが最後になるなんて、思わないやんか!」

 

何気ない会話。

交わした目線。

後ろ姿。

 

最後まで普通に過ごして訪れる突然の別れと、

少しずつ大切な人の命の灯が弱っていくのを感じながら毎日を過ごし、訪れる別れ。

どちらがいいかなんて、私にはわかりません。

 

ただ、

大切な誰かとの最後の記憶が、少しでも優しくありますように。

・・・そう、思います。

日常生活の中で、見送る瞬間に、心を籠める

私が心がけているのは、その場を去る瞬間や、送り出す瞬間は、心から頭を下げるようにしています。

 

それでは失礼しますと、向かい合ったその瞬間に、

一瞬でも心からの感謝を籠めて、

「今日はありがとう。」

 

そうすると、なぜか自分が落ち着いたり穏やかな気持ちになったり、籠った愛で、平和になります。

 

心を籠めることを、忘れてしまうこともあるのですが、そういった時は、「しまった。」と、残念な気持ちになっています。

 

ケンカをして別れたり、

目を見ることもなく、何となく送り出してしまう別れは、心の中に寂しさが残ります。

さいごに

様々な最後について書きました。

日頃の生活を、丁寧に。

思い出した時だけでもいいから、見送る瞬間に心を籠められたらと思います。

 

何気ない日常に、ありがとう。

 

良かったと思える日常を、積み重ねることができたら、明日は今日よりも少し、幸せになっているような気がします。

 

 

 

自分が失敗したり、周りの失敗を見ていて、やめた方がいいなと思ったストレス解消法

ストレス解消のつもりが、結果的にもっとストレスをためてしまったことはありませんか。

おすすめではないストレス解消法をすると、一見その場はすっきりとするかもしれませんが、

マイナスの効果がブーメランのように返ってきたあとが大変なのです・・・。

 

私自身が経験をしたり、周りの人を見ていて、やめた方がいいなと思ったストレス解消法を書いていきます。

 

 

やめた方がいいストレス解消法

辛い時に感情のおもむくまま起こした行動は、基本的に辛い現象ばかり引き寄せます。

NG行動
  • 食べ過ぎる。
  • お酒を飲みすぎる。
  • いろいろな人に相談しまくる。
  • 悪口を言う。
  • ドタキャンする。
  • 八つ当たりをする。
  • 感情的に振舞う。
  • 衝動買いをする。
  • ギャンブルをする。

始めは勢いに任せてやったことが、習慣化してしまったら大変です。

ほどほどだったら、いいと思うのですが、綺麗にけじめをつけられる人は、どれほどいるのでしょうか。

食べ過ぎる

少し贅沢なものを食べたり、甘いものを食べたり・・・、至福の時間ですよね♪

ほどほどだったら、美味しいものを食べるのは最高の癒しです。

 

だけど、どうでもいいものを、その時の勢いにまかせてたくさん食べ過ぎると、あとで後悔をすることに・・・。

体重計にのって後悔。

胃が持たれて後悔。

変な時間にお菓子を食べる習慣がついて後悔。

 

私は食べて自分の気を紛らわす習慣がついてしまったことがあります・・・。

 

食べて気を紛らわす習慣を無くすのは、時間をかけてゆっくりとやるか、

一気にやめるのなら、かなり気合がいります。

 

一気に頑張りすぎると、リバウンドすることだってありますよ。

私はリバウンドをして、前よりも太ったことがあります。

せっかく食事をするのなら、食べ物をじっくりと味わって、最初から最後まで至福の時間であってほしいと思います。

お酒を飲みすぎる

お酒を飲むと、その時の感情が増幅する傾向があるようですね。

 

楽しい気持ちで飲めればいいのですが、

楽しくない気持ちで飲んだら、楽しくない気持ちが増幅して、

制御が難しくなっている、身近な人の姿を見たことがあります。

 

本人が辛そうでしたし、周りの人も大変でした。

私は、警戒をして、できるだけ視界に入らないように、逃げるように過ごしていました。

せっかくのお酒だから、飲んで楽しい時間になるといいですね。

いろいろな人に相談をしまくる

相談する相手がいるのはいいことなのですが、人の口には戸を立てられないもので、話が広まるリスクも無視はできません。

全ての人が同じような気持ちで、温かく共感しながら話を聞いてくれるとも限りません。

話が広がって、過ごしづらくなる可能性だってあります。

 

後々自分が傷つくことの無いように、話をする相手は選びたいところです。

 

また、仮に話が広がったとしても、相談した相手を責めないように、ありたいです。

この人から広まるのなら仕方がない、と思えるような相手に、相談をしたいですね。

 

 

悪口を言う

意図的に相手を貶める悪口はもちろんのこと、

感情的になると、相談している内容が、結果、悪口になってしまっていた、ということもあります。

 

悪口を言いたくなるほどの相手というのは、

元々は自分にとって重要な人物だったからこそ、より腹が立つ、ということも、考えられますね。

 

大事な相手ではなくても、自分を守りたくて悪口を盾にしてしまうことだってあります。

 

悪口により一時的に物事が思うように進んでも、

それは本当に一時的なことで、一見、上手くいっているように見える時間が長ければ長いほど、

後で大きな波となり、放ったネガティブが返ってきます。

 

悪口を言った対象から直接怒られるなら、優しい話で・・・、

運命からお仕置きされる場合は、心底堪えるような内容となるでしょう。

 

運命からのお仕置きは、その人にとって泣き所をついてくる、非常に苦しいものなので、ちょっとしたストレスでは済まなくなります。

勢いに任せて酷い悪口を言ったり、いつまでも悪口を言い続けるのは、自分の為に、やめておいた方がいいと思います。

ドタキャンする

何もかもどうでもいい、

という気持ちになっても、一時的なものなので・・・、スケジュール帳を開いて、予定を確認するのは忘れないようにした方がいいです。

 

大変だから仕方ないよね、で、理解してもらえることもあるかもしれませんが、

ドタキャンを何回も繰り返していたら、行き場所が減っていってしまいます。

 

出かければ気分が変わることだってありますので、出かける価値はありますよ♪

 

私は落ち込み過ぎて、出かけて楽しそうな人たちを見て、余計に落ち込んだ経験がありますが、

その時は、それ以降、人と約束をしないようにしていました。

 

どうしても出かけたくない時は、ドタキャンにならないように、余裕を持ってキャンセルをしたいですね。

 

辛い状況でも投げやりにならない姿勢は、誰かに伝わります。

それが、後々の自分を救ってくれることだってありますよ。

やけを起こす

自暴自棄になった状態です。

ストレスを強く感じている時は、余裕がなくなっていて、ありとあらゆることでネガティブな感情を抱きがちです。

 

自分なんてどうでもいい、という気持ちになったり、

 

相手を思いやるよりも、自分を思いやってほしい気持ちで溢れたり、自分のいら立ちを分かってほしいという感情になっている時は、

ネガティブな感情に支配されている可能性が高いですよ。

 

勢いに身を任せないように。

最悪な時の気持ちに任せて、無謀なことはしないように。

自分を苦しめるようなことはしないように。

周りの人と、自分自身のために。

八つ当たりをする

感情が波立って、自分のそばにいてくれる人に当たり続けてしまったら大変です。

携帯を投げたり、家のドアを蹴ったり、物に当たることも、同じです。

 

ストレスがあって辛い状況でも、そばにいてくれる存在を大切にできなかったら、いずれその関係も崩壊します。

 

人の心は流動的で常に変化するものだし、物もまた、永遠ではないからです。

 

自分の寂しさや、苦しさを理解してほしいと思っても、八つ当たりという方法で発散し続けると、

進んだ先に待ち受けるのは、本気の孤独です。

 

八つ当たりというのは、物を破壊するし、続ければ、人の心も破壊します。

 

あちこち破壊した未来に待ち受けるのは、運命による報復です。

八つ当たりをした本人が、最も堪える方法で、ブーメランのように返ってきます。

 

人は完ぺきではないし、一切八つ当たりをしない、イライラを周りに見せないなんて、なかなかできることではありませんが、

できるだけ早く気持ちを切り替えることで、切り抜けていけたらいいですね。

衝動買いをする

気持ちが落ち着かない時にした買い物は、買う瞬間までがピークになってしまいがちです。

使わない持ちものが増えれば増えるほど、身に付けた脂肪のように、自分の負担になっていってしまいます。

 

気持ちの整理がつかない時は、逆に持ち物を手放していった方が、気持ちがまとまりやすくなるということもありますよ。

勢いに任せた買い物はしない方が、結果気持ちの回復も早くなるのではないのでしょうか。

ギャンブルをする

ギャンブルをする時の高揚感は、一時の辛さを忘れさせてくれる効果があるそうです。

ストレスから目をそらす効果があるので、一度この方法を覚えてしまうと、なかなか抜け出せなくなります。

抜け出す時は、ストレスの根元にある問題としっかりと向き合えた時だけです。

だけど、根元にたどりつく前に、生活がままならなくなり、崩壊してしまう可能性が高いのがギャンブルです。

 

ギャンブルが習慣化すると、借金の習慣化にも繋がりやすいです。

お金のトラブルは、生活そのものに大きな影響を及ぼします。

生活そのものが成り立たなくなってしまったら、家族が成り立たなくなってしまいます。

家族が崩壊してしまったら、ストレスを乗り越える糧がなくなってしまう人もいるのでは。

 

後ろ向きなギャンブルには、借金と嘘がセットになりやすいです。

周りの人も巻き込んで、大変な苦労を背負い込みます。

 

ちょっとした楽しみの一環ならば素敵なのですが、

ギャンブルが、日常の辛さを紛らわすための手段になってしまったら、借金地獄、家族の崩壊との相乗効果で、抜け出すのは至難の業です。

 

抜け出すためには、周りの人にも相当な忍耐と根気を求めることとなります。

失敗して崩壊し、巻き込まれるリスクを抱えながら、誰がその大変さを引き受けてくれるのでしょうか。

 

極力初めから踏み込まないのが正解です。

 

ギャンブルは、辛い時の特効薬ではなく、

楽しい時のお楽しみとして向き合えたらいいですね。

さいごに

自分の失敗や、身近な人が混乱している姿を見ていて感じた、やめた方がいい、ストレス解消法の紹介でした。

NG行動
  • 食べ過ぎる。
  • お酒を飲みすぎる。
  • いろいろな人に相談しまくる。
  • 悪口を言う。
  • ドタキャンする。
  • 八つ当たりをする。
  • 感情的に振舞う。
  • 衝動買いをする。
  • ギャンブルをする。

習慣化したり、やりすぎたりしなければいいと思います。

 

ストレスがかかっていたり、気持ちの整理ができていない時は、行動がエスカレートしがちなので、最初から行動を控える方が、楽なのだろうとは思います。

 

苦しいことを、さらに苦しいことで、紛らわせても、問題が解決することはありません。

自分で自分を傷つけないこと。

周りで手を差し伸べてくれる人がいたとしても、

自分自身が自分の足で立ち上がる決意をしないと、立ち上がることはできません。

 

立ち上がろうと思えるきっかけは、意外とささやかなものだったりするのかもしれませんね。

日常の小さなことを大切にしながら、今日を乗り越えたら、明日は少し違ってくるのではないのでしょうか。

明るい未来が待っていますように。そして、明るい方向に歩いていけますように。

 

あわせて読みたい 弐

幸せになると信じること

 

 

自分の内面から働きかける、私のストレス解消法

ご訪問、ありがとうございます。

 

みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。

私はというと、元気は元気なのですが、

上手にガス抜きをしつつ、自分をいい感じにコントロールしなくてはならない状況です。

(~_~;)

 

私自身の為に、大好きな子供たちのために、平和でありたい。

どうしても難しい時もありますが、

極力どのような状況も、楽しめるような自分でありたいと思っています。

(^O^)/

 

辛いことがあった時は、時には投げやりな気持ちになることもありますが、自分自身や、大切な人のために、力を抜いて波乗りのように流れに乗って、するすると乗り越えていけるようになりたいです。

 

みなさんは、人生の波をどのように乗り越えていますか?

私のストレス解消法、ストレスとの向き合い方について書きました。

 

ストレスを感じている真っ最中は、ストレスのもとと、ガッチリと組み合っているような状態です。

ストレスのもとをゆっくりと手放し、自分自身の呼吸に集中できたら、また違った景色が見えてくるかもしれませんね。

 

 

平和であるためには、ストレスを心と体に影響させないこと

ストレスが強すぎると、随所随所に影響が出てきます。

体調を崩したり、無表情になったり、八つ当たりをしてしまったり、ネガティブなひとり言が増えてしまったり・・・。

 

さらに!

ストレスが表に出始めると、次々とストレスになることを呼び寄せてしまうという、負のスパイラルに巻き込まれていってしまいます。

ただでさえ大変なのに、さらに大変になってどうするのでしょう。

(/ω\)

 

自分自身の平和を守るために、極力こまめにストレスは解消して、平然とした自分でありたいです。

ストレスに振り回されないようにするために、ストレスの影響力をどんどん弱めていきたいですね。

私のストレス解消法
  • 平和のための、方針を決める。
  • 考えるのをやめる。
  • 今の自分が自分のためにできることに集中する。
  • 美しい生活を意識する。
  • 泣きたくなったら泣けばいい。
  • 愛するものを愛する。

自分の足を、しっかりと地面につけ、今日を生きていきたいですよね。

 

▽コチラもある種のストレス解消法ですよ。気分転換♪

平和のための、方針を決める

これからどうするか、どのように対処するかを決めていきます。

 

冷静な状態で考えた方がいいので、悲しみや怒りにどっぷりとつかっている時は避けて、

一晩眠ってから考えたり、

自分よりも明らかに波長が高い人を選んで、その人と会話をした後に考えるのがおすすめですよ。

 

波長の高い人との会話の内容は、ストレスの大元について相談してもいいし、まったく関係のない話でも大丈夫です。

波長の高い人と会話をすると、無駄がそぎ落とされて、考えがシンプルになります。

波長が高い人はどのような人かは、後程書いています。

 

方針はどのような内容にする?

方針というのは、これからどのように対処していくかということです。

対処の方法は、怒りや悲しみに任せた方法ではなく、自分自身を大切にする内容がおすすめです。

対象がいる場合は、ブーメランのように自分に丸々返ってきても、平気な内容にします。

 

対象も守り、自分も守る。

それが結果的に、自分自身を楽に呼吸できる状況に導いてくれる可能性が、最も高い方法です。

 

方針を決めたら、手帳でもメモでも、どこかに書いておくと、具現化する力がアップしますよ。

ぜひ書いて、すぐ手に取れるようにしておくか、目につくところに置いておきたいですね。

一度決めた方針は守る

冷静になっている時に考えた、平和的な方針は、

感情的になっている自分のいつものパターンから、自分自身を守ってくれます。

 

気持ちが高まっている時は、今までと同じような行動をしたくなりますが、

同じ行動をしていては、今までと同じような結果しか得られません。

 

冷静な時の自分を信頼し、

ぐっと我慢をしてみましょう。

 

少なからず展開は変わるはずです。

 

たとえ、すぐには結果に結びつかなくても、微妙に方向は変わり、そのまま進んでいけば、もといた道とは、全く違うところに、たどり着けるはずです。

そして自分自身をコントロールできた経験は、次の目的を達成するための勇気にもなってくれます。

相談相手。波長が高い人はどんな人?

誰かに相談して、それを実行した場合、相談相手の波長の高さに合わせた展開になってしまいます。

自分が目指したい、問題解決の仕方をしている人に、相談をしたいところです。

 

波長が高い人の考え方に触れることによって、自分の波長を一時的に上げたり、思いがけない糸口を導き出したりすることができます。

波長が高い人の特徴
  • 一見して社会的成功者とは限らない。
  • 落ち着いている。
  • 穏やかである。
  • そばにいるとホッとする。
  • その人の前に立つとすべてを見透かされているかのような感覚になる。
  • 静かにしていても存在感がある。
  • 自分にとって都合の良いことを言ってくれるとは限らない。
  • 根掘り葉掘り質問攻めをしてこない。

とりあえず、今私が思いついたことを書きました。

他にもいろいろあると思いますが・・・。

 

自分より波長が高ければいいと思います。

波長が高いということで、思い浮かぶ身近な方はいますか?

 

 

 

考えるのをやめる

できるだけ冷静に、よく考えて方針を決めたら、もう考えるのはやめます。

悩むことだけに特化しても、自分を痛めるだけですから。

スパっと、やめます。

 

ときには、とことん悩み抜くのもわるくない、

・・・とも言いますが、この場合の悩むのというのは、

自分自身と向き合う内観の時間であって、

 

いつまでもくよくよする時間ではないはずです。

 

方針を決めたら、

しばらくは、迷わない、考え込まない。

 

決めた方針を着実にこなすことに、意識を集中させていきます。

 

今の自分が自分のためにできることに集中する

ストレスを感じている時は、自分自身の在り方と乖離してしまっていることに、苦しんでいることが多々あります。

 

だから、

他がどうか、とかいったん忘れて、

今自分はどうしたいのか、何をしていたいのか、と、いうことに集中します。

 

今の自分が、できることはありませんか。

今の自分のままで、できることはありませんか。

 

大きさは関係ないです。

ただ、自分のために、粛々と、淡々と、何かをこなしていきます。

 

美しい生活を意識する

自分で自分を見捨てないことです。どうでもいいなんてことは、ありません。

一見ささやかなことから、自分自身を守る行動を起こしていきます。

 

衣食住を、美しく整えるように意識します。

 

服は、清潔な服を身につけるようにします。

朝起きたら服に着替え、寝る時はパジャマに着替えます。

TPOに合わせた服装をするようにします。

 

食事は、自分の身体とよく相談をして、自分の体が喜んでくれる食事の仕方をしたいですね。

やけ食いは、自分自身を追い込みます。

食べ過ぎることで発散されるのは、食べすぎている最中だけで、

食べすぎた分、新たなストレスが、自分自身にのしかかるからです。

 

気持ちが乱れると、住まいも乱れます。

日頃、自然の風や、光が大好きな私ですが、

凹みすぎると、カーテンすら開けたくなくなることがあります。

 

家は自分自身を映した鏡です。

 

自分の内面につられて部屋が乱れることがありますが、

逆をいえば、

部屋を整えることで、

自分の内面を落ち着かせる方向に持っていくこともできます。

 

泣きたくなったら泣けばいい

無性に泣きたくなったら泣けばいいです。

我慢することはありません。

 

泣くことで、溜め込んでいたエネルギーを発散することができます。

怒りは我慢が必要な時があっても、涙は我慢しなくてもいいのですよ。

 

泣いて周りに心配をかけたくない場合は、一人になった時に、人知れず泣けばいいです。

愛するものを愛する

自分が苦しんでいる時は、なぜか自分の身の回りのものを、大切にできなくなります。

物に八つ当たりをしてしまったり、

人に八つ当たりをしてしまったり、

そのような経験はありませんか?

 

実はその時八つ当たりをしている対象は、

自分自身が今、もっとも大切にしなくてはならないものです。

 

ものでも人でも、自分に豊かさを与えてくれるものを傷つけることは、自分自身を傷つけることと同じです。

深い愛で今はそばにいてくれますが、傷つけ過ぎれば離れていくでしょう。

 

いざ離れていくときが来た時に、もっとも苦しい思いをするのは、自分自身です。

愛するものを自らの手で傷つけ、去って行く姿を見るのは堪えます。

その時こそ、本当に立ち直るのが大変ですよ。

 

家族も、家も。

自分自身もそうです。

自分自身の手の中にあるうちに、大切に、大切に。

 

さいごに

ストレスは自分の内側から溶かして、自分が素敵に変わるための栄養にしたいですね。

私のストレス解消法
  • 平和のための、方針を決める。
  • 考えるのをやめる。
  • 今の自分が自分のためにできることに集中する。
  • 美しい生活を意識する。
  • 泣きたくなったら泣けばいい。
  • 愛するものを愛する。

方針を決める時のポイント

  • 一回眠って、冷静な状態になってから決める。
  • 自分より波長の高い人と話をしてから決める。
  • 自分自身を大切にする内容にする。
  • 対象がいる場合は、自分自身に跳ね返ってきても平気な内容にする。
  • 一度決めた方針は守る。

考えるのをやめる

  • 悩むことだけに特化しても、自分を痛めてしまう。
  • 方針をこなすことに集中する。

今の自分が自分のためにできることに集中する

  • できないことは忘れる。
  • できることをこなすことに集中する。

美しい生活を意識する

  • 衣食住を整えて、生活面からバランスを取るように働きかける。

泣きたくなったら泣けばいい

  • 弱気な自分もわるくない。
  • ネガティブな感情をおもいきり泣くことで発散する。

愛するものを愛する

  • 人でもものでも、八つ当たりは新たなストレスのもと。
  • 今手の中にあるものを守る。

 

いきなりすべてを変えることができなくても、意識した時から流れを変えることはできます。

流れを変えることができれば、今までできなかったことにも、手が届くようになったりします。

 

自分が変われば、今まで身の回りで起きていたことに変化が訪れます♪

 

内面から働きかける、私のストレス解消法でした。

 

今日も明日も、平和でありますように。

 

あわせて読みたい 壱

幸せになると信じること